連載コラム

「-身の周りのものの毒性問題 その①-」

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2024.04.01

「生命史」はじめ「史」につくものに興味を感じて
すでに70数年、私は数字に弱く、全て物語として考える。

 自宅には理系の本しかない。
医学薬学図書室のような中で育った私だ。

 学校というのはその図書室の本の種類が多いのがうれしかった。

 今日の「毒性問題」は今までにも何度も自分で考察、
研究してきたテーマだ。物心つく頃より「薬漬け」と
言われるくらいの病気を抱えて生きてきた。

 母が私に教えてくれた数々の言葉で私は生きていられる。

 物事を考える時の基本は
「古今東西同じ人は存在しない」という真実である。

 同じような形をしていても同じ人は居ないのだ。

 食事一つとっても同じものを食べてはいない。
人の身体は食べ物で出来ている、
「人体は食べ物の化身」なのだ。

 そして植物も動物も自己保身のために「毒性」を持つ。

 この自然の「毒性」を利用して生きてきたのがホモサピエンス、
現生人類でもある。時代が経って、現生人類は
「化学合成」技術で「毒性ある物質」を作ることを習得した。
それらは主に戦いで敵を倒すために開発製造されたものだ。

 いろいろな人類史をみても現生人類は
「第5次地球生命体大量絶滅期」をも生き延びた
素晴らしい強さと頭脳を持っている。

 しかし、それの進む先が自滅と言われる
「第6次地球生命体大量絶滅期」であり、
これは現生人類によってもたらされるという。

 化学兵器、生物兵器に始まりどれくらい多くのお金が
「現生人類の未来」を破壊するために使われているか?
考えるだけでむなしくなる。

「化学史」は無論「薬物史」「医療史」の中でも語られるが、
「政治経済戦争史」では面白いほどに取り上げられる。

 つまり私が子どもの時から飲まされ、注射されて
そして68才まで時々服用していた全ての化学医薬品は
「化学兵器の成れの果て」だったのだ。
それらの「毒性」については「副作用」「副反応」
という言葉で許されている。

 私は化学医薬品の存在を否定するわけではない。
あくまでも人体という個性的な生体にとって
プラスかまたはセロの効能であるべきだと期待している。

 それは体外試験でなく生体内での効果だ。
自然毒を含む動植物や鉱物の利用は、
試験管の中でも分析結果でもなく、
実際の生体内での反応を見るべきなのだ。

 それらは長い経験を経なくては分からない。
「医学で言うエビデンス」と「医療でのエビデンス」は
全く別物であるのは言うまでもない。
「医療史」は万年単位であるのに対して
「医学史」はほんの近年のものだ。

 今地球上には毒があふれ、海から地上から大気の中まで
様々な人工的な化学合成製品で汚染され、
解毒できないままに蓄積されている。
殺菌剤、消毒液はじめあらゆる「生命毒」は
周り回って「現生人類」の生体に蓄積されてゆく。