連載コラム

「-松田道雄先生の著作を読む。-」

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2024.04.15

 日本には沢山の素晴らしい人々がいる。

 医師だけでも数えきれない。小児科でも沢山尊敬する
医師達がいるが、松田道雄先生は一味違っていた。
(旧)京都市立明倫小学校の大先輩でもあるので時には
先生のご活動を気にしていた私だ。

 今回書物を整理の中で出てきた松田道雄先生の本を
読み返すことにした。時代が変わって医療内容そのものが
私の経験と少し違ったりして、「医療史」をこんなに
身近に感じるものかと改めて今の世の中の変化の
速さに驚かされている。

 先生の本を読んでいて益々私は
「禁食という医療手段を禁止してほしい」
という思いが強くなった。

 何度もコラムに書こうとしては没にしてきた。
もう随分前からの思いであるが、とても口に出せない立場だった。
私が入院している病人達を往診して回っていた経験からである。

 主治医達は無論自分の治療中の病人を、内緒だとはいえ、
他の医療者が他の視点から観察しているとは想像も
しておられないと思う。

 でも病人のご家族は必死だ。
どうしても見てくれと言われると断れない。

 医療は「病人を治すのでなく、生きる方法を伝えるだけだ」と
思っているので、私は出来ることをすればよいと自分に
言い聞かせて、時間ある限り、頼まれる限り病院へ通った。
私にとっては良い学習のチャンスでもある。

 そして「禁食」という医療手段が
「病人にとっては良い治療法でない」と分かったのだ。

 消化器系の手術でもである。
病人が食べる気があるなら口から食べさせればよい。
飲みたければ飲ませればよい。

 ただ問題は日本の病院での「病人食」の問題だ。
病院の管理栄養士として働いていた人がぼやいていたのだ。

「O-157事件以後、病院はとても気を使い
病人に出す食事には徹底して『消毒』を求めます。
マニュアルに従わねばなりません。
私は栄養士としてそこまで消毒薬を使うというのは、
逆に弱っている病人の身体の毒になると思うのです。
治る病気が治らなくなるだけでなく、
逆に重症化させてしまうと思います」と教えてくれるのだ。

 消毒液は生命毒である。微量であるとはいえ
病人の身体に入れられていくのはどうか?
「禁食」と言われて内々で家族が作った食べ物を食べ、
元気になって医師に食事を頼んだという幾つもの症例もある。

 ある人は今も元気であるが、同じ病気で同じ日に同じ医師に
大手術を受け他の人達はサッサと逝ってしまった。
主治医は不思議そうに「どうして君だけが元気なんだろう?」と
病人に質問されたと元病人は私に報告してくれる。

 その人は手術した医師の医療ミスでもう少しでこの世から
サヨナラするところだった。主治医はそのミスを認め
病院の廊下で土下座して病人の家族達に謝罪した。
病人側はそれで医師の手術のミスを許したといういきさつがある。

「生きて普通にしていればそれで医療のエビデンス」
と私は信じている。

「医学のエビデンス」云々が言われるが、
「病気は治って病人が死んだ」のでは、話にならない。

 医療活動は人を生かすことである。
人は個性的で同じ身体は無い。それをまとめて
数字確率統計でものごとを生体に当てはめようとすると、
大きな薬害を引き起こす。

「疫学史」を学習していて、考えさせられることが多かった。
自分達人類がやるべきことをしないで何でも他の動物や
微生物の所為にするのは本末転倒だと、若かった私は考えたものだ。
今は少し私も進歩したかもしれない。

 話は戻って、松田道雄先生の古い著作より一節を紹介しよう。
「医師の治療をこまごまとした点まで制約し、監視するという
世界に類のない制度が、日本の医師を小人物にし、
日本の子どもを人間恐怖症に追い込んだといえよう。」
(松田道雄著、暮らしの手帳社、
『こんなときお母さんはどうしたらよいか』第4刷 P97より)