連載コラム

「ー自死未遂の少女との一晩の事ー」

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2023.03.24

 私が確か60歳くらいの時だった。夕方6時半ごろだっただろうか?

 その日の予約は全部終わり富士見台医院も片づけ始めた。最後の「建築物」壁式構造の鉄筋コンクリートの建物になっていた時だ。

 20歳そこそこの少女がお母さんに連れられて入ってきた。いま大病院から直行してきたと言う。話を聞くことにした。

 少女が自殺を図ったのを母親が発見、病院の救急室へ連れて行ったという。そしたら若い精神科の女医さんが入院を勧めてくれた。

 「預かるわよ。どうせ自殺なんかする人はろくでなしだから、家においといても困るでしょ?」といったそうで、お母さんは入院を断り、其のまま私の所へ来たという。

 私は精神科医でもないしどうかと思ったが、まだ子どもだ。

 その当時私の家族は息子たちも連れ合いも日本に居ない。この少女の話も聞きたいけど、富士見台医院の職員たちももう帰らないといけない。

 「今夜一晩私のとこへ来ない?独り住まいなのよ」と誘った。少女が素直にうなずいたのでお母さんは一人で帰って行った。

 医院と私の東区の自宅までは歩いても20分か30分である。二人で帰宅して、おなかも空いていたので夕食を作ることにした。ソーメンが手っ取り早い。

 「ミィースゥア」と言ってスープは中華風で具沢山である。食べられるのは何でも食べる。缶詰のシーチキンでも卵だっていい。もちろん肉が有ればそれでも良い。だしは私は自分で昆布、鰹節、煮干しなどからとる癖はあるし味付けは塩、しょうゆ、味噌、など何でもつかう。そこに湯がいたソーメンを入れ最後に湯がいた青野菜を入れる、野菜が無い時は庭の野草だって良いのだ。どんぶり一杯ずつ食べた。

 片付けは、私は調理中に半分は終わっているので、残りは簡単。そしてゆっくり話しを聞くことになった。確か片思いしていた職場の彼が他の女性と結婚することになったと言うのだ。昔は、と言っても高々20数年前と思うけど日本の女性はいじらしい。簡単に肉体関係は持たないし、今ほど自分で男性にアタックすることもない。「心に秘めている」というタイプが多かったと思う。ひとしきりお話しを聞いて私たちは急に眠くなった。いざ寝ようとしたら息子たちのベッドは片付いて布団袋の中だ。結局私のベッドに二人で潜った。

 彼女は私の腕枕。そして朝、私はまた出勤の準備だ。朝食は決まっておかゆと漬物とちょっとした残り物のおかず。

 少女もそそくさと起きて洗面している。

 少女はそのまま帰宅すると言うので、二人で東区からまっすぐ大学通リへ向かった。

 そして少女は右手に曲がり国立駅の方へ。私は左へ曲がり富士見台へ向かった。

 一週間後、彼女から元気そうな声で電話があった。

 「いろいろ考えたけど、職場へ戻ります。先生の家に一晩泊めてもらってやっぱり生きてゆくことにしました。ありがとうございます。もう大丈夫です」とのことだった。

 それっきり私も彼女の事を忘れていた。

 あれからもう20年近くなる。彼女はどうしているのか?ひょっとしたらもうお子さんもいるかも。。。と考えながら私は日々片付けを「意識して」生活をしている。

 人って本当に10分先はわからない。

 でも出会った人で人生は変わるのは本当だ。

 アルバイト時代でも自死未遂や自死してしまった人々を実際に多く出会ってきた。そして私自分が未遂経験している。

 生きているこの世は地獄だけど何時も芥川龍之介のカンダタを思い出す。

 クモの糸が切れないようにするにはどうしたら良いのか?馬鹿の一つ覚えの様に頭の中でぐるぐる考えてしまう。