連載コラム

「ー「立て板に水」も良いけれど。。。ー」

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2023.03.28

 近頃はスピード感が無いと嫌われる。だから「早打ち競争」というのがあるそうである。

 キーボードを誰が一番早く打つか?という競争という。世界大会もあると言うのだ。嘘か本当かわからないけど、「核戦争ボタンを誰が一番先に押すか?」という訓練を常日頃していると言うのだ。

 「現生人類ホモサピエンスもこれで終わりだなあ」と考えたものだ。幸い実行されていなくって、私はまだ存在しているけど、どうして人類はそんなに死にたがる?と考えるのだ。私はいつも言うように4歳で生きたまま多くの罪のない人々が亡くなってゆくのを子ども目線で見ていたし、8月15日は玉音放送の時は二番目の亡くなった弟を山の中で焼いていた。

 私の人生は今日に至るまで危機一髪の中、生死ぎりぎりの線の上を生きている。

 医師達に「8歳以上生きるのは奇跡」と言われていた。両親が「自分で10倍に生命を伸ばせ!医者は誰も病人を治しきれるものでない」と祈り続けてくれたお陰で今がある。私の強さは「人」との出会いである。

 本当に私がどんなに多くの人々のお陰で生きることが出来たか?それは言い尽くせない。

 「人財」に出会うには「五感プラスアルファ」を使う以外ない。

 バーチャルでは、いざとなったら手に届かない。何時も本物を持つ努力である。問題は自然から離れて人は生きられない真実がある。日本は昔から自然に恵まれ、今も食べられる物を平気で大量に捨てる。

 「おから」もあれば「芋焼酎のしぼりかす」もある。私の様に野草も食べられる。

 もったいないことをするのになぜ食糧危機と騒ぐ。自力更生を目標にすれば世界中何とか生きて行ける。つつましやかに生きて余力は周りを助けることだ。中村哲医師の実行しておられたように「生きる事」を基本にすればよいだけである。

 化学薬品を大量に使わなければキャベツの外葉だって人は平気で食べる。人は裸で何も持たずに生まれてきたし、サヨナラするときも何も持ってゆけない。生きている間も出来る限り「生物としてありのままで、自分で五感プラスアルファだけで生きられる努力」が必要だと信じるのだ。

 「人は他の生命をいじるべきでない」と考えてきた。

 現実には人類史、生命史などの学習で、「人類程傲慢で自信過剰な生物はいない、恐ろしい生き物」と感じるのだ。結局それは「無知」によるのでないか?

 例えば「割礼」などはいまだに残る。

 今、一部の研究では生まれ来る個体に何かを「埋め込む」ことで何かをしようとする。他人の肉体に強制的に「何かを注入する」。「生かす個体と消滅させる個体を選別する」などバカバカしいことをしようとするほんの一部の考え方が存在している。それは一人ずつが頭を使って自分と自分の家族を守る以外ないのだ。「医学医療問題」を一部の専門家に任せる物でないと判るように、「法」も一人ずつが自分で学習しないといけない。生きるために必須科目だ。

 神仏でもないホモサピエンス現世生物が、少しばかり利口になったとしても、全宇宙時間の数百年の知識で生命をいじくりまわすようになったのは赤ん坊に刃物を渡すようなものだ。