連載コラム

「ー総復習、総括作業で気が付いたこと。其の②ー」

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2023.08.29

 今改めて医学のための研究でなく、生きた人を相手にその苦しみを軽減したい医療者は各個人に限らずどんな医療の有資格者とかも関係なく、「日本の伝統的な統合医療」を学習していればとても便利で役に立つという事だ。日本にはすべてが揃っている。

 其れこそ4~3万年前からこの大地に人々が上陸して最新科学医術迄学び続けてその知識と知恵は世界一沢山蓄積されている。

 人が生まれてこの世を去るまで日本の伝統的な統合医療を学んでおけば心配ないという事である。それは食べ物の取り入れ方から始まり、調子悪く成っても他人に頼らず自分で手当てをすることが出来る、いざ災害が有っても医療者が来なくても自分たちで何とか切り抜ける昔ながらの経験から来る智慧や知識である。

 日本のこの素晴らしい医療文化を知れば、最新科学医学医療も、いかに自分たちの研究が狭い範囲のもので、人が生きる上ではさほど実用的でもない部分もあると判ると思う。

 つまり非科学的から始まって科学的になった、全てを両方学習する必要があるという事だ。

 それが出来て初めて実用的な医療活動が出来る。

 日本の古代から最近の先端医術迄知恵や知識を積み木の様に重ねてゆくと、ホモサピエンスがこの世にあらわれ経験学習してきた歴史的な苦労が判る。大昔はまだ文字もなく言葉もなかった時代もある。それでも人々は身体を使って経験学習して生き抜いてきたのだ。

 その始まりからの経験の知識、智慧を頂くとよいのだ。それが出来れば地球上からもっと苦しむ人は少なくなると私は確信する。

 明治初期医師の医学教育は「蘭学」となり、実用的な日本の伝承伝統医学は市中に放り出された。有難いことにその意味の重大さに気が付いた人々がいて、その知識や知恵を黙々と守り続けてくださったお陰で今の日本がある。

 いま日本で医師達は気が付き、本来の医療へ戻る努力は続けられている。

 まず食養生学の研究会も沢山あるし、セルフメディケィション関係も東洋医学を中心に人々を指導しておられる。病気になっても病人にならず、自分で出来ることはする。

 それが社会生活の基本となる。日本には本当にたくさんの人々が医療活動に従事している。それだけ意識が高いし要求があるのだ。

 西洋医学だけの医療で事が片付いているのは10パーセントもない。専門医はデータの収集に追われ、生きている病人がどのような歴史をどのような生活をしているか等、聞きもしない。

 まして大きな病院程全身を診ていない。彼らは専門分野のその組織の事しか頭にない。医学論文はこんな研究すらデータとして取り扱う。私が医療のビッグデータでもそのまま信用してはいけないと言うのは、経験からだ。実におかしな科学的データもある。

 AIは入力させるのが本当かどうかも区別しない。

 その前に入力している医学者研究者そのものがじっくり生きている病人を診ていないので教科書や学術データーと本人との違いに気が付かないし、大切な生体反応すら気が付かないのだ。

 教えられたほんの一部の情報で全部と判断する恐ろしさがある。

 木を見て森を診ず、である。