連載コラム

「ー総復習、総括作業で気が付いたこと。其の①ー」

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2023.08.29

 日本から時間とお金と労力をかけて、運んできた私なりの研究資料。今整理整頓終活の最中だ。重ねて私の実力のない学力の総復習である。

 分かった事は、古今東西「人を含めての生命」に対して、非常に多くの人々は関心を持ち、種々の立場から研究、著述を残していることだ。

 私は非常に狭い範囲で独断と偏見で生きてきたと知る。「生きていたい自分」があるだけで、多くの人々を苦しめてきた可能性がある。

 多くの専門家や学者さん達がいる中で、同じ興味を持つのもおこがましい。但し、一つだけ私の新しい気づきがあると思う。

 医療者になる人々が受けている教育の「医療史をどこまで遡って教えられているか?」という点である。

 医学生たちは必ず「ヒポクラテスの誓い」は教えられる。但し、いざ実際に教育が進むに従い、重点は産業革命以後の近代科学的な医療内容になってくる。それはものすごく膨大な知識だ。

 将にAIでない限り知り尽くせない。人々は常に発表される新しい研究に関心が行き、それがすべてと感じてしまう。其のことに危機感を抱いたのは20歳の頃だ。今から60数年前になる。医師達が受けてきた教育は「本当の医療からずれている。」という感覚だった。

 多くの最新医学医療論文として発表されているが、その論文が不正確なのだ。それは私が大学で学習する一方、患者として医療を受けていた、その両方を経験していたからである。

 大学を出て、実際に医局に在籍しつつも殆どはあちこちの市中病院、医院、診療所での診療医経験をしていて、如何に学術論文が不正確になってゆくかを学習できた。マニュアルなどは信じてはいけない。

 29歳の時に個人開業医で実際に病人たちに面接するようになり、自分で関係業者さんに会って、お話をするチャンスを貰い、ますます私は「病人は医療で自立しないといけない」という確信をもった。医療者が悪いのでない。限界があるのだ。

 病人と医療者は身体がつながってないのだ。親子でも同じである。病人になる可能性がある人は、全て自分に責任がある。

 最新科学を研究しておられる世界中の研究者たち。それこそ「2000年、ホモサピエンスの最優秀チームのメンバーがDNAの暗号を解読した」{A・コリン著, 河出文庫、あなたの体の9割は細菌。P407}と表現されているように、人体は微に入り細に入り研究されつくしている。今は分子レベルまで来ていると言う。ところが私が関心を持って研究していたのは、全く反対方向だったのだ。

 そんな細かいことは如何だって良いわけでもないが、私にとって、この人の世で「どうすれば自分が少しでも苦しまずに、悲しまずに済むか?」とても単純な欲望だけである。

 経験主義者で自分が経験は本当であると信じ、実利主義で他人も自分と同じように苦しみたくない、生きていたい人だろうと勝手に想像するおせっかい屋なのだ。

 精神科医から、とっくの昔から「重症な誇大妄想型空想的平和主義者」と病名を付けられ,放置された幸せ者だ。うっかりすると「罪びとは許すが、夢想家を社会は許す事はない」らしいが日本は寛大だ。

 私は医師達の病名をあまり気にしなかった。臨床医として経験している中で病名はなんぼでも作られてゆく。皆頭が良い人々である。ラベルを作り人々を分類整理して、まとめて制服、医薬品を大量生産で作る。経済効率が良い。一人ずつの身体の違い、どうだって良いのだ。動物実験での動物の悲鳴や苦しそうにするのは気にする必要は無いと言う学者の言葉もあった。人体実験でも、「それなりのお金は支払ってある」と人は言う。

 そうして得られるデータは正確さが足りないと私は考えていた。現実に医科大学院生たちや大手サプリメント製造販売会社で働く従業員たちの声を聞いてきた。もう昔の事だ。データはその人の全体をとらえていない。見える部分のそれも一部で作られてゆく。