連載コラム

「ー時を超えて、著者は私を裏切らない。ー」

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2023.10.07

 子ども時代に、本を読む面白さを覚えさせてくれた両親に本当に感謝する。とにかく神戸大空襲の中を何とか生き抜け、二番目の弟を犠牲にしてしまったが、餓死せず生き残った。京都にそれから10年生活出来たのも、有難かった。時は日本は敗戦国という事で、中国に戻った台湾の人にもGHQからの特別配給が有った。あの戦後の食糧難の時にだ。

 もっとも私達が口に出来たのは「乾燥キャベツ」位で缶詰などは、現金化していたらしい。

 「神戸に戻って来いよ、商売をするチャンスだ」と言う仲間の誘いに、逆らっていた母だ。

 「子供の教育には時期がある。子どもは作り直しがきかない宝物」と動じなかった。

 父は自己哲学、信念がしっかりしなかったようで、私には優しくて良く勉強はしても時には家族には暴力的だ。母は寡黙で同じことはめったに言わない。私からすると怖ーいお母ちゃんだった。

 5歳の時に「じんぞうのはたらき」という医学絵本を渡してくれた父だが、これも母に言われてからの事だ。私の教育係は5歳上の姉か父ではあった。漢文や諺など10歳にもならない私にちょくちょく教えてくれた。今考えると終戦直後で10畳ほどの部屋の壁一面の本箱にあるのは重々しい医学薬学専門書にその大学入学のための参考書、そしてみんなの教科書。文学と言えば芥川龍之介の本だけ。「蛍雪」という雑誌を買って、兄は母に叱られていた。「本を読むのは初めから最後まで有るモノ。続きは駄目です。考えが中断するから」というのだ。だから続きモノは手に入らない。一気に初めから最後まで読む以外ない。

 字を書くことは小学4年生の時の図画の小郷先生の言葉がきっかけだ。「日記を続けて書ける人は成功するからね」と教えてくれた。以後いまだに実行する単純バカと呼ばれた私だ。でもこの年齢で総括していると読書というのは著者とのおつきあいであると判った。

既に逝かれた人でも、まだ生存している人でも同じ、著者は私を裏切らないと感じる。いろんな立場のいろんな考え方があるけど、人それぞれ違うものだ。自分と反対の考え方も沢山あるし、私自身は教えて貰う立場だ。世の中には、好き嫌いとは関係なく、同じ人はいないのだと今更ながらに考えて納得。でも少しも寂しくないよ。「一人でいても一人でないよ」と言っていた母の言葉。私が7歳で妹が生まれ私は母の枕元に座っていた。生まれた赤ん坊におっぱいを吸わせていた母が、私に教えてくれた言葉。

 私の中にはもう一人の自分と沢山の人々がいる。他に神や仏様、悪魔もサタンも住んでいる。「どの人とお付き合いするかは私次第だ。」と母は言った。

 この年令に到り子ども時代のような私の書斎、連れ合いと約束した私設研究室。図書に囲まれていると本当に幸せな気分だ。世界中の人々にお裾分けしたい。「難民を作り出すのは人類最大の罪」こんな法律を作るべきだ。