連載コラム

「-マルチワールド、マルチヘルスの大切さ-」

この記事は約2分で読めます。

2023.12.15

 古今東西同じ人はいなかったとは誰もが認める真理である。

 同じ身体がないので同じ治療法はない。
同じ人でも、時間軸に沿って変化し続けている。

 それに対応する医療方法は何か?

 行きついたのが、日本の医療文化だった。

 つまり記録に有る、無いに関係なく、そこに住む人たちに
伝えられてきた、有形、無形の経験医学だ。

 それは縦書き文化の社会に多く残っているようだが、
代表として日本を考えるとよい。

 日本には世界中の知識と知恵が沈殿して残っている。

 高々150数年前に横書き文化の医療のみが、あたかも本物の
医療と宣伝され、医療教育界を独占したが、有難いことに
先輩たちの努力で、捨てられた日本本来の医療知識や知恵も残ったのだ。

 日本の場合は、有難いことに西洋の文化に入れ替わらなかった。

 英語教育が「使えない英語」で世界では通用しないと批判を受けるが
塞翁が馬である。

 私たちは海外へ行く時一生懸命現地の言葉を学習するが、同じように
海外から日本へ来る人は日本語をまじめに学習するのだろうか?

 文化はその時代その場所で異なって当たり前であるが、それが経済力と
結びつくので、人はついつい、経済力の高低で相手の価値を評価する。

 経済力で物事の価値は決まるのでないとは、
子どもの時からの私の経験学習だ。

 物質的に恵まれても精神的に不安や不満や不幸せ感で苦しむ
多くの人々に出会ってきた。

 ごく普通で満足して質素でいろいろ工夫して自立して
子どもの世話にも出来る限りなりたくないと、亡くなる直前まで、
毅然として生きておられた多くの高齢の人々にも出会って来た。

 その人々に共通していたのは
『戦争時代を生き抜いてきた』という経験を持っていた。

 火を見る戦いも、見えにくい戦闘も嫌なものだが、基本はやはり
「人の本質」を理解することでないかと思う。

 私は社会的イデオロギーや沢山ある宗教教義も結局は
「自分以外の生命に対する考え方」に尽きると思っている。

 世界のトップにいる人々が、
私の知る限りであるが、常岡一郎先生や本多静六先生のような方々だったら、
世界はこんなに哀しい状態でないと空想するのだ。

 成るようにしかならないと知ってはいるが、
出来るだけのことはして、後は天にお任せ以外ない。

 ただ感じることは「縦書き文化」をしっかり守り、
人類の過去から多くの智慧や知識を学習することで、
その上に初めて「横書き文化」の糸を通すとよいと言うだけだ。

 どんなに数字に強く、記憶力が良いと言っても、
人としての基本が出来てなかった人々の人生最後の様子は、
ある意味、見ていて辛いものだ。

 人はまず自分が生きる事に責任を取る以外ない。