2024.03.15
ただの臨床医でしかも自分が生きるために
必死になっていた利己主義者の私だ。
死にたくないだけ。理屈はどうだって良かった。
実利主義で経験主義で自分の経験が本当の事と
信じている。
たった一人でもその病人が元気に生活出来れば、
私にはそれで充分。どんな方法でも「アホみたいな
レベル低い治療だ」と言われても構わない。
私の所へ来なくたって、病気した人が自分の身近で
治められれば十分でないか?
今書斎を整理していたら古い本が出てきた。
青土社が1998年頃出版した古本、
『ウイルスの反乱』ロビン・マランツ・ヘニッグ著、
長野敬・赤松真紀訳だ。
その時はその時で「人類は大変だ!」と緊張して
診療をしていたけど、ともかく病気にかからないように
するにはどうするか? 仮に最悪の状態であっても
生き延びるにはどうするか?
いま必死で理解しようと努力している本は、
ヒカルランド出版の『本当は何があなたを病気にするのか?』
ドーン・レスターとデビッド・パーカー共著、
字幕大王訳である。
「新コロナ騒動」のお陰で世界中の人々が
考え直すチャンスが来た。でも「陰謀論」と
「反陰謀論」と片付けられてしまう。
私のような人には「どっちでもいいじゃん。」
「人が普通に生きていければ他人がどんなに
大儲けしようが構わないけど、最低生活条件の人が
普通に生きられるくらいにしてね」と考えてしまう。
それは昔から政治の力という。
日本では元旦に能登半島地震が起こった。
昔から自然災害にどのように対応するかで
その社会のトップの質と力量が分かると言われる。
日本の人達は税金の使われ方に無頓着なのか?
人々は自分が儲けることよりも、もっと支出に
気を使った方が良い気がする。
ウイルスがいるかいないのかよりも、自分が
「生命と健康をどのように守るか?」の方が大切なのだ。
自然災害にお金を出さないような社会は
その社会に住む人にとっては良い社会とは言えない。
ウイルスをやっつけるよりも、まともに
人の生活を維持する方が大切なのだ。
人は自分で病気と付き合ってゆく力がある。
自分を見失わないようにしないと
子孫は可哀そうだとお節介にも考えてしまう。