2023.11.03
私はもう60年以上前から、頼まれると殆ど断ることなくペンを持っていたらしい。
いつもひょいっと文章が浮かぶので、すぐメモしておく。
そしてそれがテーマとなって学習して自分の考えを書く。そんな習慣があるので書くのには慣れていた。身辺整理をしていて実に沢山出て来る。
18年前に「聖パウロ女子修道院」の「あけぼの編集部」からの依頼。「私の隣人」第9回目を書いた。
2005年7月の時点は個人破産直後の忙しい時期だった。
隣人として外に目を向けるのも良いが、まず自分の内なる状況を知る必要はないか? 日本で生まれ来る新しい生命は親の国籍とは関係ない。
子どもにはどこで生まれるか?
どんな親を持つことになるか?
その前に生まれたいとか生まれたくないとか。女が良いか男が良いかなども聞かれることもない。運命的に不自由で不公平、不平等な立場だ。
私は自分で経験しているので判るが、生まれた時から日本国民か国民でないか?選別、区別されるのは面白くない。さらに細かく一生条件が厳しい。
私の場合は法律的に日本とは縁がなかった。継母に片思いしている子どものような立場だった。高額納税者だったし少しは考えて
、、、とも思っても言えなかった。
思えば私は執念深いと言われる通り、同じようなことをくどくどと書いている。
それにしても日本には実に多様性に富む人々が住んでいる。宗教関係だけでも組織は幾つあるのか?
皆素敵な社会活動をしているようだ。私は結局どの団体にも入れず「天地人」の教えを守って、一人相撲を取っている。