2026.04.01
私は中学時代に学校の図書室で
「衣食足りて礼節を知る」という言葉を知り、
これが紀元前の古代中国(春秋時代)の
偉いお役人さんの言葉と知った。
そして大人になって何事にも「史」があることを知って、
いろいろ考えてしまった。
教育の『教』が本当かどうかの疑問である。
今に至って、人が生きていけるには沢山の要素条件が必要だが、
サヨナラするのはいたって簡単だと身に染みて納得した。
それだけ多くの死に出会ってきたのだ。
そしてその生きる要素条件の「医、食、住、教、法」の
現状について考えていると、分かったことがあった。
それはそれぞれが全て
「商業化・企業化」されていることであった。
「教育産業」という言葉も聴いてはいたが、
すごいものだと知った。
その分野の専門家に聞くと「当然でしょ?」という。
だから私はもう何も言えない。
私は自分が生き延びることばかり考えていたので、
現実の社会で今日一日を生きるのに何が必要か
もう80年以上考えているのだ。
そして人類は本当に「種の保存」として
きちんと次世代へ「生存教育」をしていたのかが気になった。
動物達は、食べる物、天敵から身を守ること。
住む場所、巣をつくる場所を教えるだけで
生涯が終わっている気がするのだ。
ところが頭が良いという現生人類はどうだろう?
子ども達が生きるのに本当のことを大人は教えているだろうか?
一番重大な問題は「人は安心、安全、安定した(住)を
確保する必要がある」という真実を
大昔から伝えていないことだ。
分かったことは、人類がこの地球上で
一番価値があると認めるのは「住」の問題だ。
だからどの政権も古今東西、教育の中で
一般の人々の子孫に本当のことを教えない。
有力者、支配者だけが所有を許されるかのごときである。
政権は「武力、財力で成り立つ」ので
平気で地球上は何でも自分達が好きなだけ
場所をとっても良いと考えてしまう。
そもそも大昔から人類の歴史は
この「住」の取り合いなのだ。
そのスケールはまちまちで
小さな家屋でも家族が居場所の取り合いをする。
大きくなると一つの社会でも
個々の人が所有できる土地の広さで争いはよくある。
人の「生存教育史」を調べていると、
いかにも正しく伝えているように書いているが、
私は「肝心な部分は抜いてある。頭良い人はうそつきだ」
と考えている。
なぜならこの地球がなくなれば
全ての生命は宇宙のゴミになるのに、
地球を破壊するばかりの軍需産業にお金をつぎ込む。
多くの人々を意味なく殺戮しているのに、
何も言わないで、「生命は大切だ」なんてうそぶく。
世界中の人類は、数が多しといえども、
財力と武力ある人には
何も意見も言えないでいるようだ。
まともな教育をしてこなかった
現生人類の自己責任だとあきらめる以外ない。
後は個人がどのように自分や
家族を守るかだけの問題になっている。
一般の庶民は初めから力には勝てない。
だから「非戦、不戦、不服従」で行くしかない。
自分の健康や生命の維持を、できる限り
他人に頼らない努力をすることである。


