2026.02.15
本当は私はお願いしたいのだ。
「生命をいじくりまわさないで!」と祈るのだが、
ここではあえて「人体」に限定して考えたい。
多分世界中から総スカンを食うかもしれない。
でも正直な気持ちである。
私は自分が弱虫だからついつい弱虫の立場から考えてしまう。
何度も死にかけたけど幸運強運なのか偶然なのか
こうして今、まだペンを持つことが出来ている。
子ども時代から手術の繰り返しで大人になって
今までどれくらい入院して医師の方々に
どれくらいお世話になったことか!
それであえて「人体をいじくりまわさないで!」と考えるのだ。
いちばん大きな問題は臓器移植問題だ。
昔私は来院していたあるお母さんに質問された。
「臓器移植は賛成ですか?反対ですか?」
そう聞かれて、私は自分が学習した限り
どうしても賛成できないので正直に答えたのだ。
そうすると若いその人は深いため息をついて
「冷たい人なんですね!」と一言言って
それっきり来院しなくなった。
私は考えるが、その人はきっと
「他の生命を助けたい!」気持ちがいっぱいの
純真な人に違いない。
でも大切なことは宣伝されている言葉でなく
「臓器移植」の世界はどんな世界か学習することだと思う。
物事はシステム化してしまうとそれは固定されていき、
さらにそのシステムを維持するのには、一定の経済力が必要になる。
最初に臓器移植を考えた人は、多分真摯に
「人助け」で考えていたに違いない。
ところが時間が経つと、それに従って「経済効果」が上がってくる。
そうするとそれはもう「商業ベース」に乗ってくる。
私に質問をした若いお母さんはきっと
「ドナーハンター」という言葉も知らなかったのだろう。
またある国の小児科学会も、おめでたいのか
「小児の臓器移植」賛成をしている。
世界中で子ども達や若者達が誘拐され行方不明になる現象と、
「臓器移植で人助け」というのはまさに
陰陽の関係であると私は学習してきた。
もしも自分が愛する息子や娘が急にいなくなったらと
想像してみると良いのだ。
私はこの「人の世」とは地獄であると考えている。
それは80年前に自分で経験しているからである。
もう二度と生まれてきたくない。
今も生きている人ほど恐ろしい生き物は無いと感じているのだ。
私は7歳の時に1回と大学生時代に2回、
合計3回の誘拐未遂を経験した。
本当に危機一髪で助かって今がある。
奇跡なのか?偶然の連続なのか?わからないけど、
とにかく私は今生きていることに感謝して、
ある意味「バカは怖いもの知らず」と
言われるぐらいになってしまった。
私がどうしてこんな不愉快なテーマを書くのか?
それはある元患者さんの経験を知っているからである。
その患者さんは医師に臓器移植を強く勧められ、
800万円を借金して病院へ支払った。
医師の説明によると丁寧に
「移植するとああなる、こうなる云々」と
説明書はあるし、大丈夫と言われたのだ。
すがる思いの彼女は「夫の生命が助かるなら
800万円は高くない」と工面した。
でも結果は全くの無駄だった。手術後7日も持たず、
連れ合いの身体は遺灰として彼女の手に残った。
二人の子どもを抱えてさらなる借金。
茫然自失した彼女の姿を、私は忘れたくない。
人はいずれ皆この世から去らねばならない。
もし「不老長寿」を願うなら、私のように
「医の自立」をする努力を実行することだ。
臓器移植のためには「脳死は死である」と
定義せねばならないそうだ。
人の身体は60兆個の細胞の集まりで
出来ている多細胞生物である。
「生か?死か?」その区別はどう決めるのか?
「脳死自体がおかしな話だ。」と
私の知る外科医は話してくれたことがある。
その人が言うには「人の体は本当に不思議だ。
同じ身体は無いし、身体は止まることなく変化し続けている。
我々がいろいろ検査してその数値を見て
その病人のことを考えるけど、本当は不正確と思うよ。
検査結果が出た時はもう体内では細胞達が
ものすごい数の情報交換で、どんどん変化しているので
採血したりした、10分20分前とは違った状態になっている」
「実をいうとね、脳死は本当かどうか分からないよ。
そんなこと言うと大変だから言わないけどね。
機械はどうとでも設定できる」とのことだった。
その人は解剖学の教科書を書き換えたいとも言っていた。
もうずいぶん前の話であるので今はどうかわからないけど、
私は自分の身体はいじくりまわしてほしくない。
何かを勧められたときは「誰が儲かるの?」と
考えると良いのだが、お人好しが多すぎると
最近私は教えられたのだった。

