連載コラム

日本の「帰化問題」と「移民問題」。

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2026.01.01

 日本から送ってくれる情報で、日本の人達の
不安や心配がひしひしと伝わってくる。
○○ファーストという言葉も盛んに聞かれるそうだ。

 戦前だったか戦争中だったか、先に私の父が
台中から内地の日本神戸市に来て仕事をしていた。
それも母の先見の明で、6時間の差で
深夜の兵隊狩り(男狩り)から逃げられたのだ。
1938年頃、母が子ども3人を連れて日本へ来て、
それから私が生まれた。

 1945年3月17日の神戸大空襲で町内会全滅の中で
反対方向へ逃げた私達一家は生き残った。

 私個人のことであるが20歳の時、
大学である外科医に肩を叩かれ
「君、日本人でないんだってね。僕はある政党の
党首を知っているよ。口を利いてあげようか?」
との話を持ち掛けられたけれど、
言われたお金もないので断った。

 それから結婚して子ども達がまだ幼い頃、
先輩達に「早く帰化しなさい。子どものために」と言われて
外務省か出入国管理局だったかで帰化申請の手続きを申し込んだ。

 人の良さそうなおじさんから
「ああ、すぐ旦那と離婚しなさい。
明日にも許可してあげるよ。君は稼げるからね」と言われたのだ。
勘当されても連れ合いと結婚した私である。
意味が分からずがっかりして帰宅したものだ。

 それからずいぶん時間が経って今度は
八王子市にある事務所で手続きをしようとした。
連れ合いはすでにアメリカへ行って仕事中だ。

 仮事務所だったか?大きな部屋で
沢山の人々が仕事をしていた。
私が係の若い人の机の前に行き、
「帰化申請のご相談をしたいのですが…」
と切り出したとたん、その人はいきなり
靴を履いたままの両下肢を机の上に乗せ、
腕を組んでそっくり返り大きな声で怒鳴ったのだ。

「めんどくせえから書類を出すなよ!」

 周りの人々の視線が一斉に集まった気がして、
私は自分が犯罪者になった気分だった。
頭を下げそそくさと事務所を出た。
そしてこの日本という国の行く先が心配になった。

 物心つく頃より私達家族は厳しい環境だった。
第一両親がどのように扱われているか子ども心に感じていた。
大学の医局でも医師仲間でもいろいろあったし、街中でもある。
でも歴史を学習していた私からすれば別に驚くことでもない。

 8歳の時、病床で夢うつつの中「人とはどういうものか?」
「人の世とはどのようなものか?」「人間学を研究したい」
と言ったら、枕元の母が
「医者になりなさい、少しは分かるかもね」
と教えてくれ、今も学習研究中なのだ。

 私の経験から言うと、日本という大地で生まれる赤ん坊は
すべて日本の地霊と言魂で育っている。
両親の国籍などは関係ないのだ。

 第一、今の帰化制度の法律は明治初期に明文化したもので、
それ以前は人々は寛大だったという。

 過去はどうであれ今人手が足りずドンドン移民を
受け入れる(本当かどうかも分からないが)なら、
どうして日本生まれの赤ん坊は
日本人と自動的になれないのだろう?
どうして子ども達の国語教育を
ないがしろにしたのだろう?
私は昭和23年頃から教育方針が
変わってきたと感じていた。

 私の経験から言うと「国家」と国民は別物である。
人の社会は流動的で留まることはない。
人体は小宇宙と言われるように
人の世の中も一つの有機体であるのだ。

 国籍名や性別年齢関係なくイデオロギーなどの
思想、哲学、宗教観、道徳観、倫理観も関係なく、
人は皆同じホモサピエンスの一人にすぎない。
生まれた以上は誰でもお腹を空かせたくないし、
暑さ寒さに苦しみたくない、病気で悩むことも嫌なだけだ。
一番大切なのは誰だって、安心、安全、安定した
自分の住居を得ることだ。

「地球は一体誰のものだ?」と私はいつも考えてしまう。
お金持ちだろうが貧乏人だろうが同じだけれども、
人は運命的で生まれ持って不公平で不平等で不自由なのだ。

 世界はいま大きな転換期に入っている。
日本の人々はもしも不安で心配だったら
周りの人々で学習会することだ。

 人は自分と自分の家族をまず守り、
それから身の回りの人々が生きるのを
助けることができれば上等である。

 子どもは好きで生まれてきたのではないので、
みんなで育てるぐらいの気持ちがあってよいのだと思う。

 大人も子どももきちんとした日本語をマスターして、
その後に多言語をマスターすることだ。

 日本語は世界一難しいが、それをきちんと守ることは
日本の文化を守る愛国心でもある。
今仕事で海外にいる私であるが、
片付けが終わり次第また日本へもどりたい。
日本は私の故郷なのだ。