2025.11.15
昔々、人は身体一つで何とか生きてきた。
道具も機械もない時代で本当に大変だったと想像する。
人間の文明史をじっくり見ても、大した道具もないのに
よくまああんな大きな建造物を作ったものだと感心してしまう。
文明文化が発達するほどに、人は機械や道具に頼り
今は人は便利になった分、生きる力が低下したのでないかと考える。
子ども達も生活の中での経験が極端に少なくなり
運動量も少なくなって全身の筋力も低下、
目は小さい画面ばかり見ているので目の運動筋も弱くなり
とっさのことが見えなく事故にあったり、
世の危険度が分からなくなっている。
耳だっていつも何か聞いているので
周りの音が聞こえないらしい。
ものを見ても「見えない人と見える人がいる」と
私は子ども時代に感じた。
「物を自分でじっくり観察する」というのは
とても生物として大切な機能で、
五感プラスアルファの力は生きる力に直結する。
ある時90歳になる私の母が寝ていた。
買い物リストを書いて置いてくれるので、
土曜日の午後はそれを見て私は買い出しに出る。
出かける前に「今から出かけるね」と私は
母の寝室のふすまをそっと開けた。
私は「ドキン!」としてすぐ救急車を呼び、
いつもお世話になる病院へ運んだ。
有り難いことに、たまたま心臓外科の医師がいて、
救急室の待合室ですぐペースメーカーを入れてくれ、
それから病室へ運ばれたのだ。
病院へ着いた時、脈数は16だった。
普通は一分に60~70位なので、
母は心臓が止まりそうなのだ。
退院して母は私に言った。
「寝ているところをアンタは私を殺そうとして
勝手なことをしたと思ったよ。」
それからまた半年した時か、同じようにまた土曜日の午後、
私はとっさに母を救急車で病院へ運んだ。
今度は肺水腫でおぼれそうにアプアプしていたのだ。
これも病院の治療のおかげで治まった。
それから母はまた6年近く生きてくれて、
沢山おしゃべり出来たのだ。
私は子ども時代から病院で大変お世話になっている。
だから「医者はいらない、薬もいらない」と言われると
「それはおかしい考え方だ」と考えてしまう。
かといって他人である医師や、薬に頼りきるのは反対で
「自分の身体は自分が一番よく分かる」と考えている。
どんなに愛してくれる両親だとしても、
肉体は繋がっていないので、分からない部分がある。
でもいつも一緒に身近にいて
観察している間柄だと、変化が分かる。
大切なことは病気になる本人が、
自分の身体に関心を持つかどうかである。
それはまさに三つ子の魂で幼い内の家庭教育であると思う。
日本では昔は大家族で、おばあちゃんの智慧が役に立った。
戦後家族が小さくなり私達の年代の者すら、
そのご先祖から引き継ぎをしてもらってない人々もいる。
本当にもったいないと思うが、有り難いことに
日本には古本や新しい書籍が沢山あり、
インターネットでも沢山情報が出ているので、
一人ずつが自分で学習して「自分の学習ノート」を
残してゆくとこれからの子孫は助かる。
治療法は本当に沢山ある。エビデンスと騒がれる時代だが、
「元気で普通に生きている」というのが大切でないか?
治療した結果死んでしまうのなら、どんなに
検査データが正常化されていても治療としたら失敗だ。
身体からの情報をどれぐらいキャッチできるか、
それが医療者の力になる。
頭良し悪し関係なく、全て訓練次第だ。
医療者でない人々でも「よく感じ取る人がいる」のが
人の面白さである。


