連載コラム

「−医師の限界−」

この記事は約3分で読めます。

2023.01.14

 いつも思うのだが、人ほど難しくて理解しにくい生物はいないという経験ばかりする。ひょっとしたら人以外の生物にも本当はそれぞれ共通の言葉があって心もあるが、人類が感じていないだけなのかもしれないが。

 その人類同士が理解しあうのが非常に難しいのだ。医師になったものの恨みつらみでアル中になった小児科医もいた。内科医で関西の国立大学の医師もアル中で「なりたくもなかった医師にさせられ一生台無しにされた」と酒におぼれ若くしてこの世を去った。

 どれほどの医師の子弟たちが親世代を恨んだのだろうか?私が経験する実例を言うと、人は「なんて世の中は不公平で不平等で哀しい現実だ」と嘆くだろう。でも今になって私はその「子ども達を無理やり医師にした親の気持ち」が少し理解できる気がする。それは医師として仕事をしているうちに「医師の限界」を知ってしまうからでないか?

 一生懸命まじめに診療していても、病人本人が自分でしなければならないことが沢山ある。まず第一、何か異変が現れた時この異変を感じ取って、すぐ対処するには人体に対しての知識がなければならない。早く身体の警告を知るにはそれ以外ないのだ。という訳で子どもが可愛い親は必死に子弟を医師にしたがる。

 無論医業というと病院や医院の継承という点もあるが百パーセントそれだけでない。医療に対する無知は生存に関係する。もう一つは医学会、医療界の仲間意識である。雰囲気では医療界と関係ない人々に対する思いと同じ職業界の人をはっきり区別する場合がある。

 これはたぶん大昔から世界中同じかもしれない。人は常に同類とそうでないのと、無意識に区別するのだろう。階級と言うのは私の知る限りホモサピエンスが前のネアンデルタール人やクロマ二ヨン人から時代が進んできた直後からすでにあったのではないだろうか?

 私は一部の医師の苦悩を聞いていたが、実際は職業に関係なくすべての家族間に問題は堆積している。それぞれが「忙しい!」為に、会話が少なく、ただの同居人となってゆく。物質的には随分恵まれてきた時代と思うが、むしろ人はますます家族のきずなを失い、人そのものが信じられなくなる。

 今、実際に人体自体が産業、商業の原資となるので、怖がりの私は昔漢方の師が言っていたように「地球があるうちにサヨナラしたい」気持ちもある。とは言えまだ「人の世の表しか知らない」若者たちには、何としても寿命が尽きるまで生きつづけてほしい。自然科学の発展だけの文明文化に疑問を持ってほしいのだ。

 最低イザという時自分や自分の家族を手当てできる知識、医療技術を身に付けて、それから自分の好きなことをしてほしい。親を恨んでいる医師達に医療人と言う資格を取るのと他の事をするのと並行すればよいのにと内心考えたけれど言えなかった。

 世の中に医師ライセンスを持ちつつ、他の仕事もする人たちもいる。親世代の経験から来る希望と自分の希望と両方いいとこ取りすれば平和なのにと私は考えている。私自身したいことは後回しといつも考えている。私は自分の価値観を押し付けすぎるのかもしれない。それはお許しいただきたい。今は努力して口を閉め、書くのを抑えているつもりである。