連載コラム

「-世界的視野で過去から現在に至るまでを考えていたら「結局誰が悪いのだろう?」「誰に責任があるのだろうか?」その②-」

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2024.06.03

 私が地球は瀕死状態だと常日頃から感じるようになったのは
いつごろからだったのだろう?

 京都、平安女学院中学2年生の理科の授業は面白かった。
20歳代の後半と思える小柄な女の先生の授業。

 大巨人になったり小さくなって人の体へ侵入して
探検するとか空想豊かな授業だった。
以後、私は日常的に地球の周りをパトロールするし、
いつも左手の平に地球を載せている感じだ。

 20歳の頃「60年安保闘争」の時代で、
医学生もそれなりに各大学から集まって
喧々諤々議論する日々があった。

 私は働いていたし、解剖の授業も大変、
健康状態も良くないので結局一回参加しただけで終わった。

 確かどこかの医科大学の教室でだったと思う。
そこで知ったのは軍用機一台分で大きな総合病院が
8か所作れるという事でびっくりした私だ。

 もう一つ議題になったのが「米軍基地の良し悪し」だった。
一部の学生は米軍基地はいらないと言うし、一部の人は
「そこで働いて生活する人が多い。だからなくしたら
失業者はどうなる?」と反論していた。

「反対意見が出るというのは素晴らしい現象だ」
と私は感じてしまった。

 私の実家では母は寡黙で、父は母に対して暴力的だった。
それだけでなく父は子どもに対しても口答えをすると
直ぐ力を使った。私は余りにも弱かったし、
今で言えば私は父のペットのような存在だったのだ。

 だから医学生達が日本の在り方に対していろいろ
議論しているのを見ていて、本当に驚かされたのだ。

 以後、私は自分の中で、必ず「反対の立場」で
考えて見ようと努力した。

 自分の生命を守るのに必死な私は、医師達のすることに
色々異議を感じるようになった。

「お医者さん達は目の前の患者さんの身体を理解しきれていない。
それは日本の医師教育の弱点だ」と思うようになった。
医師達は機械に頼りすぎるし、教科書や参考書を信じすぎる。
「目の前の生きた病人はもっと沢山のことを表現しているのに
分からないのかなあ」と私は考えるようになった。

 歴史の上で時代が進むほどに地球環境は悪化し続け、
最終的に「終末時計100秒前」と言われる状態が続いている。

 環境が悪化し続けて、人体にまで大きな問題を起こしている。
当たり前なのだ。人体だって自然の一部だもの。

「大企業は本当の事は認めないし、公表もしない。企業は
儲けだけを追求している。特に今回の「ワクチン問題」がそうだ」
と言う人がいると、内容吟味もせずまとめて「陰謀論者」と
レッテルを貼り、社会的に孤立化抹殺させる方法手段が
とられているそうだ。

 企業はお金を儲けなければ成り立たない。
ただしその商品を評価するのは消費者でないのか?

 問題は消費者が「自分を守る意識が低い」のではないかと思える。

 その会社が社会へどんな影響を与えているか考えつつ、
さらにやりがいがあるような職場を探すというのは、
今の若者達を見ていると、日本でもカナダでも
本当にきつそうである。

 昔、私がまともな勤務先を探すことが
出来なかったのと意味が違うようだ。

 もう50年近く前の事だ。私は開業したてで
子どもを診察していた。いつもの通り子どもの
離乳食などの話でお母さんに色々話していた。

「出来る限り人工的な甘味料やダシを使わないで、自然のもので」
と説明していた。

 そこで若いお母さんが言ったのだ。
「私の夫は○○○社の研究部門にいます。
会社の製品が売れなくなると私達は困ります。」

 その時、私は「ハッ!」と気付いて、黙ってしまった。
私達は当然のこととして「身体に悪いものは口にしないように!」
と言うが、現実にはこんな状態である。

 その会社の人工甘味料は、日本ではあまり評判が
良くないにも関わらず、ダシ作りで今なお使われている。
しかも海外ではまだたくさん使われているという。

 企業として理念として「社会にマイナスなことはしない」と
発表しても現実には採算が上がらなければ社員は離れてしまう。

 かといって明らかに「人々を不幸にする」製品を
作り続けて良いのか? その製品のおかげで私達の
社会は便利になり大きく発展したという部分もある。

 人工肥料、除草剤、殺虫剤、消毒液その他多くの
化学医薬品で動物も人も生活しやすくなった分、
自分達も見えにくい被害を受け続けてしまう。

 思い出すのはオーストラリアであったという
大量のウサギ駆除の歴史だ。

 一時、害獣になったウサギを駆除するために
ヒ素の混じった農薬が使われた。しかも、法律で
強制的に農民達に使うように命じられていたのだ。

 思うに一番いけないのが現場にいない人の
「支配しているから私の言う通ろにさせる」という考え方だ。

 大企業も同じ、「私達の方針である」と考える株主達が
現場を知らないで命令を出す場合は、大体
「経済的な儲け」だけを考えてしまう。

 その事業が社会にとってどんな影響をもたらすか
考えていたら、会社はなかなか大きくなれないというのだ。

 例えば銃社会では銃を作ることが収入になるとしたら、
仮に社員がこんな殺人道具は作りたくないと考えても、
家族や自分を養うためにその会社を離れることはできない。

 真面目な人ほど苦しむことになる。
上司の命令がおかしな場合、自分はそう感じても逆らえない。
そこを離れて自分の信じるように生きることが出来る人は
現実には多くないのだと私は学んだ。