連載コラム

「ー人類自滅を避ける最後の関門ー」

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2023.10.21

 個人がそれぞれ私的「法」を確立、自立出来るだろうか?人は一生戦い続ける孤独なものだ。敵は自分自身である。

 「法」には、公的なものと私的なものがある。公的「法」は、国際法に始まりそれぞれの地域のこと細かな法律、法規等沢山あって、それも支配者、実力者たちが作ったものだ。

 使われている言葉が難しく、もともと支配者、有力者たちの有利になるよう作られている。

 私的な「法」はその人の物差しであるので人の数ほどあるが、

 その人の自己信念、自己哲学、良心、倫理観、宗教心、道徳観などで、

 その人のパーソナリティである。人が利口になったお陰で,生活も随分楽になり、人も増えた。技術も進歩して有難い。

 一方で自己破壊を繰り返し、地球を大分汚して傷つけ、地球終末時計100秒前まで来ている。

 狩猟採集民生活から、牧畜家畜栽培農耕民へほとんど移行したために仕事分業が構築固定されている。有力者、支配者層とそのサポータの官僚、学者たち、その下に被支配者の一般人が出来てきた。

 エチオピアからスタートした人類の拡散は行きつくところでその身体的変化、生活様式、言語の発達その他すべてがその自然、食物で違ってきた。進化の速度が全く異なったのだ。

 人はお互い喰うか食われるかの関係になり、その仕事内容でますます階級は固定化されていった。そこまで来るのに数十万年とかかった。

 時がたち数百年前イギリスで第一次産業革命の波に乗って植民地帝国主義者の活動が盛んになって、加速度的にますます富の偏在がはっきりして格差が大きくなる。社会が成熟してきたのだ。

 人は自然の一部である。社会も一つの有機体と考えれば成熟の先には腐敗落下、次世代の新しい発芽がある。此の成熟した社会という果実が落ちて新しい芽が育つに、人の世では、最後の関門「法」の確立と自立が必要であると私は信じている。

 「本当の事は何か?」

 人として常に自分の頭を使う訓練が必要なのだ。人は自分が「社会の一つの細胞」と認識して自分が生きてゆくためにせねばならないことをする。それだけのことだが特に日本では難しいのだ。

 日本の歴史は苦難に満ちていたが今まだしっかり生きている。

 さすが3~4万年も続く生命の歴史はそう簡単に壊れないものだと感激してしまう。

 日本の国土が破壊されつくされない限り、苦しくても生き抜ける。

 イザとなったら人々は静かに非戦、不戦、不服従で立ち上がる。楽しみなスリル満点な時代だ。

 個人の欲望は果てしなく、人は自分を忘れてしまうと、その欲望に振り回されてしまうと人類の歴史は教えてくれている。

 数百年とか数千年の歴史なんて生命史や人類史の中ではちょっとの間だ。お金と権力さえあれば、家系は何とでも維持できる。見えるモノだけにとらわれる不幸はそこにある。「自分は如何に生きるか?」

 「貧乏人でも病人でも幸せに人生を終わらせることが出来るか?」

 一人一人が全ての「法」を理解できるように簡単な言葉に解釈され、

 「法」はすべての人のモノだと考えればよい。

 難しい医学専門用語は、今は普通の人でもわかるように解説されている。今法曹界の専門家も「自分たちに任せてくれ」と、黙々と作業中であると私は知っている。

 地球生命の維持は有力者支配層の人びとでも、被支配されるほとんどの人々にとっても人類自滅の阻止杭として必要なのだ。

 被支配層の質の低下は、支配層の首を絞め続けると知っている。

 人類の多様性が失われることは絶滅への道であると皆は知っている。