連載コラム

人体をいじくりまわさないで! その③

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2026.03.15

 2025年上半期に到り、私がとても気にしていることがある。
それは「性ホルモン」の問題である。

 日本で診察をしていた頃、多くの女性達の身体を診察していた。
漢方薬は女性には良いのだ。
中には更年期障害で女性ホルモン補充療法を
婦人科医に勧められ、どうしようかと
相談に来る人達も多かった。

 私は全ての病人に「自分で学習してください」というが、
なぜなら人の身体は一人ずつ違うし、
自己決定で誰も責任を取ることはできない。

 私はただ「治療方法は一つでなく、
食養生から始まって最新科学的医療まである。
医療費を含めて考えて、病人が最終的に
苦しまない事が大切だ」と答えることにしていた。
病気の問屋である私の経験からである。

「自然に従って様子を見ていきます」と婦人科医に
ホルモン補充療法を断ったある女性がその後の話をしてくれた。
「先生は『俺は自然という言葉が大嫌いだ!』と
怒って立ち上がって私を睨みつけました。
もう怖くてそこへ行けません」という。

 LGBTQとかの言葉があふれている。
これに対しても私は考えてしまう。
社会は「どうして病名を作って固定して
治療したがるのだろう?」という思いだ。

 性別は身体の外見上の違いで、ある時代までは
出生時に医師が見立てて法的書類に記入していた。

 出生届である。もちろん昔から
「半陰陽」という言葉があるとおり、例外もあった。
他の生物界にも人類にも大昔から
いろいろなタイプの性の問題(雌雄問題)があった。

 自然界でも人類でも性は変動するのだ。
いつも一定していると限らない。
遺伝子さえも変化していく。

 そして身体の外見とその人の性格、行動パターンも
いろいろ組み合わせがあると知った。
何しろ人体は60兆個の細胞の組み合わせで出来ているし、
その遺伝子がまた複雑に組み合わさって、
その細胞のコピーが上手くいくか、ちょっとずれるかで、
いろいろな場合があるのだ。

 そもそも「男らしさ」「女らしさ」とはどんなものか?
時代と地域で考え方は全く違う。「文化の違い」といわれるが、
大昔から「男らしい女」もいれば「女らしい男」もいたのだ。

 私の経験では一人の人がその時々で
男らしくなったり女らしくなったりもする。
元々人は男性ホルモン女性ホルモンがあるし、
必要に応じてそのホルモン量は調節されている。
まして今の時代は環境ホルモンだけでなく
種々の食材にでもホルモン剤は使われていると言うのだ。
皮膚に付ける商品にも使うと言われる。

 小さい子どもほどちょっとした微量の薬品でも
その身体が受ける影響は大きいといわれるのだ。
そしてホルモンのバランスは無論他の内分泌に影響し
自律神経系も影響を受ける。

「自分は女の身体だけど本当は男かしら?」と
ふと思う事だって昔からありきたりに人々は経験していた。

 もちろんその反対もある。私の父などは
亡くなる直前に私に言ったのは、
「今度生まれてくる時は女に生まれたいよ」という事だった。
人は身勝手な生き物だと私はその時思ったが、
今思えばその時代時代で男も女も生きるのは大変だという事だ。
いや、今はもっと大変かもしれない。

 男女関係なく「一人の人」として最低自分が生きてゆくのに
「医、食、住、教、法」が自立出来れば、
泣かずに済むのでないかと考えてしまう。

 男の仕事、女の仕事ときっちり分けないで、
男も女も自分で調理くらいは出来たほうが良い。
女だっていざの時はお金を稼いで
家族を養うぐらいの実力をもったほうが良い。
男も女も生きている限り何が起こるかわからないのだ。

 難しいことは分からないが、とにかく私は
性転換手術やホルモン療法をどうしようという人々へは
よくよく学習してほしいと答えている。
「貴方の身体はあなたのものですよ。
その治療のマイナス面をよく知ること。
全て自己責任です。」と伝えている。

 日本にいた時、私の診察室に「性転換手術」を受けて結婚し、
その後もずーっと医師通いしている人が来た。
理由は分からないが結婚生活は破綻して離婚になったという。
「元の性に戻りたい」というのが
私の所へ来た時の主訴である。

 ずーっと不自然な状態を他の医療機関で
身体のバランスを維持しているのだ。
手術してしまったのはどうしようもない。
臓器はまたくっつけられないものだ。
私にその苦しみを訴えても私には何もできない。
「因果応報」であるという以外ないが、
あまりにも可哀そうで言えなかった。

 他人は自分を生きてくれることは無い。
子ども達や若い人々に伝えたいのは、
自分の健康や生命のためには出来る限り
身体を他人にいじらせない事だ。

 それは全ての医療に関しての基本である
「守りの医療を学習すること」である。
今の医療はほとんどが医療者側の立場で考える
「攻めの医療」なのだ。

 医療者は本当にまじめに学習し
多くの苦しむ病人を助けてくれている。
でも一般人病人になる者はそれに甘えないことだ。
老いてからも自立して動けるように
子ども時代に「自立」を知るとよい。

 全ての人が今一度立ち止まってこれからの事を考えよう。