連載コラム

「-血圧は他人がコントロールするべきものなのか?-」

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2025.05.01

 51年分の「病人の観察記録」カルテを一枚ずつ
読み直していて、ふと気になったことが出てきた。
血圧である。私はどうもマメに血圧を測っていたようだ。

 気になったのは、一つ目に同じ人の同じ時でも
血圧は測定する場所で違っている。
考えてみたら当然なのだが、普段はあまり気にしていない。

 二つ目は血圧は常に刻々と変化し続けて、
その時々で非常に差が出る時がある。
その差はうっかりすると40~50mmHgもある。
普段最高血圧120の人が、時には
160~170になることがあるという意味である。

 これはどうしてなのだろう?
まず血圧は自然体としてなぜ変動しているのだろうと
考えてみたら、それはその身体の必要に応じて、または結果として
高くなったり、低くなったりしているのでないか?
そうだとしたら生きていく上で、血圧の変動は必要なのでないか?

 つまり身体として「少しお腹が空いた」とか
「動けないくらいに腹ペコだ!」と感じるように、
身体はその時の状態を示しているのでないか?

 それなら他人がいちいちタッチする問題でない気がする。
お腹がすくなら本人が自分のその時に合わせて
食べ物の種類、量を決めて自分で食べればよいし、
血圧もその時に合わせて本人が自分の生活を見直し、
対処すればよいだけでないのか?

 生きているとは、60兆個の身体の細胞一つ一つが、
見えないけれども活動していることだ。
それを他人がその60兆個の細胞の集団の中に、
「化学医薬品の降圧剤を投げ込む」(飲ませる)という事は、
問題を起こすことになるのでないか?
身体の中では細胞同士が必死に連絡を取り合っているはずなのだ。

 本人が自分の身体のことを気にもせず、不健康な生活をしたり、
自分が生きているのは当たり前くらいに考えて、無茶をしていた、
その結果血圧が高くなっているかもしれないのに、
他人である医師に頼って何とかしてくれというのだ。

 私は子ども時代から血流が悪く、
起立性障害、低血圧などで治療していた。
エホチールという薬もずいぶん飲んでいたし、
自律神経調節剤、睡眠誘導体なども飲んでいた。
心臓については早くからさんざん言われ続けたし、
他にも書き出したらキリがない、それくらいがたがたの身体だ。

 それでも68歳で断薬を実行してから丈夫になった。
調子に合わせて自分の生活を考え、食べ物を調節する。
時には鍼灸の先生にお世話になるが化学医薬品は一切飲んでない。

 72歳で緊急入院をしたが、その時も病院側に嫌われつつも、
自分の治療法で手当てしてもらい自分の生命を守った。
もしも病院の医療者の言うとおりの
治療をしてもらったら今の私はいない。

 経験上、自分の健康や生命を守ることは出来る。
もしも私が医師でなかったら、他の医師に
自分の治療法で手当てをしてくれとは言えないだろう。
不耕起玄米、野菜食豆海藻小魚中心の生活である。

 それでも100歳近くなる身内の人が
私よりしゃんとしているのを考えると、
何とか肖りたいと欲張ってしまう。
一人ずつ寿命は違うというから
なるようにしかならないと諦めている。

 医師は皆忙しいし出来る限りお世話にならない努力が
社会人として大切である。

 そういう私がやはり年に一回は検査のために日本へ帰りたくなる。
漢方医学は検査手段がないのが、西洋医学の方が発達している。
日本には沢山の医療知識や智慧があるので
役に立つのは利用するとよい。
身近で安くて結果が良い医療、
日本にはそれがある。本当に有難い。
高血圧症は薬なしで済む時代が来るかもしれない。