連載コラム

「-治験データは信用できるのだろうか?-」

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2024.12.16

 日本で臨床医をしていて、ずーっと理解できずに
考え続けていたテーマに「治験」という問題がある。

 まず病人達によく質問されたのだ。
私は自分の身体で苦しんできた分、
病人達には私のように苦しんでほしくない。
一人ずつ身体が違うのに、一律に新しく外から
異物を注入して身体の中でどんなことが起こっているのか、
外から見える状態や自覚症状だけでは判断できない。

 いくら身体の一部成分を採取して詳しく検査しても、
それは体内の現象を100%知らせてくれているわけでない。
元々私達はいくら自然科学が発達したといっても、
知りえる情報は一部である。
体外へ取り出した身体の一部組織成分でも、
体内にある時と同じでない。

 大体、治験といって使われる医薬品自体が
100%無害という事はほとんどない。
何らかの副作用、副反応があるのだ。
つまりある人にとっては毒物になる。
毒物には自然毒と人工毒があるが、
いずれにしてもその人にとっては
大きなマイナス作用を誘発する。

 漢方薬だってその病人に合わない物なら
やはり副作用、副反応はある。
でも自然毒は自然の中で解毒分解されやすいが
人工毒はなかなか人体から排出されにくく、
自然中でも解毒分解は難しいのだ。

 中には治験で体内組織が破壊され死に至る人もいる。
だから私は「治験しませんか? お金を○○円支払います」
と言われた病人達には「家族とよく相談して、
あなたの生命はあなた自身のものですよ。
よく研究しなさい」と答えている。

 予防注射についても私は経験して怖くなっている。
人は自然の一部としてこの世に生まれてきたので、
まともに食べるべきものを食べ、まともな生活をしていれば、
病気になっても自然に治す力は備わっている。

 何で人は余計なことをしたがるのだろう?
普段から人が病気にならないように「生存できる基礎教育」を
人々にきちんとしておくほうが、疫学的に
効き目があるのにと考えてしまうのだ。

「身近で安くてお金もかからず、将来にわたり良い結果を出す医療」
それは全ての人に正しい知識を学ぶチャンスを与えることだ。

「人類という種の保存」について
人類は何も考えてこなかったのでないか?
頭が良くなった分、「欲望」ばかりが増大して
逆に自殺行為をしている。
動物実験のような研究に自分の身体を提供するのか?

 私がそんなことを考えていると話したら、先輩に叱られてしまった。
「アンタは医者でない! 第一、医者の仕事を何もしていない。
病人を集めて薬を出して検査をして病院を大きくするのだ。
それが医者の仕事だろうに。治験は医学者にとって大切な仕事だ。
使える薬をどんどん作る必要がある。」
病人として生きてきた私にとって、堪えられないつらい気持ちだった。

 いまだに悩み続ける私がおかしいのだろうか?