2024.05.01
人は生まれたからには「老化」と「病気」からは逃げられない。
誰だって病気の「早期発見、早期予防」の大切さくらいは
理解できると思う。臨床現場で私達はその言葉で
たくさん仕事をしてきた。
もっとも漢方薬エキス散治療では、検査手段がないので
そのような場合は他の医師達にお願いしていた。
今、私は人生の終盤に入り、総復習、総括、終活の
真っ最中であるが、今回のワクチン騒動での
『日本での集団提訴記者会見』というニュースに、
のんびりお人好しの日本の人達も気が付いたか!という思いだ。
「一度経験したら、二度と失敗はしてはいけない。」
これは私の人生哲学だ。「甘い言葉に騙されない事」というのは、
私が経験して、今があるからだ。
臨床医にとって「早期発見、早期予防」は当然と考え、
東洋医学でも「未病を治す」という言葉がある。
私達はそれでまじめに日本の安全な伝統食の食養生法や
あらゆる自然療法、民間療法、鍼灸マッサージに運動療法、
東洋医学、日本の漢方医学、その他の手当てから始まり、
日本の素晴らしい医療文化について研究してきたのだ。
今日ふとこの「早期発見早期予防」という言葉で、
私は立ち止まってしまった。
「今までどうして気が付かなかったのだろう?」と自省する。
「自分は世の中をバラバラにしか見てなかったのだ」と
いう思いが湧き出る。
農薬散布の酷さ、身近な化学薬品、洗剤に始まり
消毒薬や駆虫剤、庭にまく除草剤やその他の薬、
食品添加物の凄さ。疫病学の中の矛盾というか、
科学を政治利用することの凄さについても知っていたし、
気にしていたつもりだった。
今「化学史」「医療史」の復習中であるが、
私達は本当に無力なのだとシミジミ思い知らされる。
身近でいえば例えばこのカナダのトロントのある地域では
「芝生を守るために薬を撒いてくれないか」という人々がいる。
確かに薬を定期的に使っている家は一年中芝生は見事で
真冬でも美しい。定期的に専門家らしい人たちが来て、
手入れをしている。
そうかと思えば芝刈りはするけど野草だって
別に気にしない人々もいる。
タンポポは芝を大切にする人達にとっては、目の敵に
される植物らしく、黄色い花を咲かせていると、
すぐ市政府に電話が行き、家まで連絡が来る。
従わなければ罰金刑だ。
私は野草でも何でも好きで、特にタンポポは
食料としても有難いのだ。黄色い花を見つけると慌てて
「申し訳ないね」と言いつつ摘み取らせてもらう。
いろいろ調べてみるとやはり一番多く
生命毒が使われるのは屋外でないか?
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は何度も読み返したし、
ショックでもあったのだ。それでも日々の仕事の医療には
あまり結びついていない。
今「狂牛病」や「狂犬病」等もワクチンを打つ病気でないと
考えられ、使われる農薬、家畜に投与されるモノが原因と
科学者たちが声を上げているらしいが、
政治権力とお金には太刀打ちできないそうだ。
「科学史」にも裏表が有ったのだと判ると一般人はどうすれば
自分を守れるかという問題に突き当たる。
生命を守ってくれるはずの医療者が本当の事を
医科大学で学んでいないので信じられないとなると、どうするか?
自分達で出来ることは自分でする以外ない。
でも見えにくい「公的な法」で一般庶民は生死が決まる。
今回問題になっている「パンデミック」や「公衆衛生」に関する
国際法、国内法がそうだ。
私がずーっと新生存学で「医、食、住、教、法」の
確立と自立をと言うのも、私達が全く無法状態に置かれているからだ。
もしもほとんどの地球人が国際法や国内法を知ることが
出来ていたら世界はもっと穏やかでもう少し不便かもしれないが、
悲惨さも少ないかもしれない。
今「自分達には不要だし、気に入らないと植物を根絶したり、
おとなしい動物達でも増えすぎては困ると数を
減らそうとしたり、人でも役立たずや、気に食わない
種類の人には消えてもらう」ために、あらゆる毒性物質が
地上にまぶされ、近代科学の研究のほとんどが
軍事用(生命抹殺用)に使われるという。
不思議なことに東洋哲学、医療文化は
「生命を復活させる」のを目指す。
私が日本は「世界の鏑矢」であり、
「学びの国」という理由である。
日本にいる人々には自信をもってほしいのだ。
十数年前か、うっかりするともう二十年前かも知れないが、
日本で食品に使われる微量な化学薬品、食品添加物は
大人で年8キログラム以上と言われていた。
今はもっと多くの食べ物モドキが作られているという。
「早期発見、早期予防」という素晴らしい言葉で
また人々はどんどん病気にさせられる可能性がある。
これ以上、自分と自分の家族は傷つけられてはいけない。
無農薬、不耕起栽培される、遺伝子操作もされない
生命力あふれる植物の種を守り、大切な大地に
大量の化学的農薬、肥料などを投入しない事だ。
疫病が流行ると言うならその地域に住む人たちが最低でも
「人として当たり前の生活が出来ているか?」を考えるべきだ。
大したお金はかからないだろうと想像する。
まさに日本の素晴らしい医師、中村哲先生のような方に、
その遺族にノーベル平和賞が与えられない世界システム自体が
人の世のゆがみを示している。それは誰の責任でもない。
私達地球人一人一人の「無知と勇気不足」だと内省するのだ。
世界中で使われる化学薬品の毒性問題と
医療現場の「早期発見、早期予防」とが関係してると
今頃になって気が付くなんて遅すぎると自嘲的になる。
もし「早期発見、早期予防」をいう人がいたら、
まず「身の回りの毒性物質をどう解毒するか考えてからに
してください」とお願いするのが一番の解決策だ。