連載コラム

「-医療は芸術であると言っていた漢方の師。今私は「疫学」は、社会政治学の分野でないかと考えている。-」

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2024.07.01

 60年近く前、私の漢方の師は言った。
「医療は一種の芸術ですよ。モデル1人を
5人の画家が描いても、同じ作品にはなりません。
医師達が同じ病人を診察しても
同じように理解しているとは限らないです。
人間関係には見えないものがあるのです」
と教えてくれた。

 パターン化して物事を考えることは
生命を相手にする時は難しいなあと感じる。
生命を数字化するだけでは、
生命を理解したことにならないのでないか?

 あれから時間がたったが、今改めて「医療統計学」や
「疫学統計学」の書物を眺めてしまう。
数字に弱い私のために、次世代の子孫がせっせとくれる書物だ。
「これ勉強すると良いよ」と私を教育しようとする。

「疫学」は医学分野でなく社会科学、政治学の分野でないかと
ふと考えてしまった。疫学的パンデミックが起こったら、
すぐ社会システム上、政治学上、どこに問題があるか?
為政者達は自分達のしてきたことにミスはないのか
総点検すべきでないか?

 為政者の仕事とは常日頃より社会的弱者の赤ん坊や子どもや、
まだ自立できない若者達を育てる義務がある。
人類の子孫は皆「宝物の原石」なのだ。

 老いた為政者は自分達はもうすぐ垢となって
はげ落ちるので、さほど栄養は不要だと知る必要がある。
皮膚癌細胞だけは大量の栄養を喰うのだ。

「私が生きている限り、あなた達は生きてゆけます」
と言って母は私達子どもの教科書を買うために、
自分は一食で過ごしていた日々がある。

 為政者となるのは社会を担う子ども達の親の役割であろう。
子どもが病気になったら普段からの子ども達の生活条件は
整えてあったか、上に立つ者の役目として
自己点検する必要があるのだ。

 一人ずつ異なる生命の宿る小さい宇宙の人体というもの。
人類社会を考えると人類は本当に残酷な性質をも持つ。
「夜と霧」は形を変えて、21世紀にも実際に行われている。

 医療は芸術と同じと言っていた師なら、
今の世界はどう見えるのだろう?