2025.02.01
若い頃「一粒の麦」という言葉を知った。
たしか宗教関係の人の書物の中だ。
私は今までに一度も人が作る「宗教団体」に加入したことがない。
宗教的な考え方は面白いと思ったし、随分種々の書籍も読んだ。
母が熱心な自称観音経信者で、私によくお話ししてくれていた。
「神様、仏様、悪魔やサタンだって、
そしてもう一人の自分だって、姿は見えないけど
一人ずつの身体の中に住んでいる。
誰とお付き合いするかはその人次第」
「何かを始めようとする時は、もう一人の自分に相談しなさい」
というわけで、「人の集団には加わる必要は無い。
神様仏様等などは本人と直接つながっているので、
群れる必要もないし、人が介入する必要もない。」
「それより自分の生命を生み出してくれた
自然天地の力に感謝していればよい」というのだった。
私の所には本当にいろいろな信者さん達が来て、
それぞれの団体に入信をお勧めしてくれていた。
それこそ1970年3月の富士見台医院開院以後ずーっとだ。
私が40歳の時には関西からわざわざ2人の人が来て
「教祖さんになってくれ」と頼まれた。
宗教企業は大きな仕事になるようだ。
私にとっては、この世は素晴らしい学習の場である。
私ほど出来の悪い人もいないから、私が教祖などになったら
社会は大迷惑を受ける。
それでも「人類自滅」という言葉に脅かされて、
本気で「自滅を止められないか?」私なりの研究を続ける私だ。
本当に人類は自滅するのだろうか?
80数億人いると言うのが
一人もいなくなる時が来るのだろうか?
科学者達が「地球の終末時計100秒前」と
発表しているので、本当なのかもしれない。
諦めの悪い私はふと思いついたのだ。
そうだ! 80億人以上の人がいるというから、
皆が皆生まれた以上は「一粒の種」になる努力をするとよい。
つまり民族、国籍名、性別、年齢、学歴、職歴関係なく、
今から地球上のあちこちで、各々の立場で
「一粒の種」になる努力をするとよいのだ。
まず自分の健康や生命を守る。
「生きるのを他人に頼らないこと」だと分かった。
自分、家族、身の回りの人々の「生命」が失われないように
身を引き締め、今この瞬間から研究することだ。
すでに世の中には「人に考えさせない」システムが出来上がり
人はそれにとりつかれて、ロボットのようになっていっている。
生命を失うのは、「生命毒」等の化学物質か
物理的破壊力(放射能や電磁波、原子爆弾など)にやられる。
自然災害だって大きな脅威だ。
「地球が無くなる」場合は人類だけでなく全生命が宇宙のゴミになる。
これらを避けるにはどうすればよいのだろうか?
今はもう老若男女関係なく、浮かれている時でないかも知れない。
以上のような「バカバカしい考えだ」と言われる覚悟で迎えた
2025年の新年である。
「自分が泣かずに生きられる方法分かったかえ?」
泣き虫の私が板の間に正座させられ母の話を聞いていた
遠い遠い昔、今からもう70数年前の事を思い出す。