2024.05.01
ルイ・パスツールの伝記の読み始めたのは11~12歳頃、
学校の図書室でだった。一日一冊と決めて、授業が終わって
一人図書室に飛び込んだ日々。「偉人伝」に夢中になっていた。
そしていつの時だったか、またルイ・パスツールを読んだ。
実家の書籍類を整理していて誰かが私の弟に
プレゼントしてくれている。それを私は捨てないで持ち運んだのだ。
昔の私達はルイ・パスツールと言えば憧れの一人だった。
ところが21世紀に入り、特に今回の「新コロナ騒動」の
様子が混乱を極める中、私はもう一度「医療の歴史」を
学習し始めたのだ。
2018年末頃から私は「演劇」と感じた新コロナ騒動だ。
普通にマスクもしないで普通に診療、普通に出入国して
(勿論スケジュールは大きく変わっていた)
アメリカ、カナダ、日本、とめぐった。
台湾だけは行くことが出来なかった。
私が何故新コロナ騒動を「演劇」と感じ、ワクチンを打たないか?
それはあらゆる「歴史」に興味があり、学習していたからだ。
「植民地史」を学習してごらんなさい。世の中の事が少しわかる。
ルイ・パスツールは今や「人間らしい普通の人か?」と言われ、
それを利用して大儲けする企業や人々が批判され続けている。
ほとんど、どの臨床医達も私と同じ
「どっちにもつけない立場」でないかと思う。
一つには抗生物質なしでは仕事は出来ないと思う。
使用量は減らしてもなくせない。ウイルスは元々見えないので、
いるのか?いないのか?何とも言えない。
始めからウイルス疾患には抗生物質は効かないと知っている。
でも日本は医療が商品化しているので、何かをすればするほど、
薬を出せば出すほど医師は儲かる。
今まで通り、出来る限り自然療法で手当てする
という学習はするが、これも自信がないものだ。
社会のトップが経済優先か健康第一なのか
はっきりしてくれない限り、臨床医はどうともしがたいのだ。
保険診療を辞めて自費で仕事をするという
医師達が増えつつある。来診する人は減るがその代わり
ゆっくり患者さんと対話が出来る。
従業員の数も減らせるし、一人の診察時間は伸ばせるし、
信じるように診療が出来るという。
ルイ・パスツールもきっと厳しい立場だったのだと
想像する。人はいったん持ち上げられると
「本当のことが言えなくなる」のだと思う。
今、書籍の中から出てきたのは
『ルイ・パスツール 驚異の世紀におけるその生涯と業績』。
著者はリーン・J・デュボス博士で竹田美文・多恵夫妻訳、
1967年8月納谷書店出版。
たった数十年でこんなに評価が違うのだ。
でもパスツールの子孫もおられるだろうし、
その民間企業も活躍している。その過去に対して、
私達はどのように解釈し、今からどのように対応するか?
それはお互いに心を通わせる努力をして、
未来に希望を託せるようにする以外ないと思う。
自分も相手も生きて行ける方法を探す以外ないのだ。
日本経済新聞によると今年2024年に、フランスから
パスツール研究所が日本に研究所を建てるという。
今まで民間の研究所だったが、フランス政府の支援も
得ることになるかもしれないとのニュースだ。
どうも新コロナの件と、高齢化する日本人のために
研究すると言うのだそうだが、
人体が医学研究の原資にならなければよい。
ウイルスがいるかいないか分からない私だが、
人が自然に生きられるようにお互い見守れる方法を
考えたいものだ。ルイ・パスツールやその反対の研究結果を
必死に発表していたアントワーヌ・べシャンはじめ
当時の医療界や関係企業の人々は、人類のご先祖として
今の地上の様子を見てどう思うのだろう?
人は皆、お金に取りつかれると
もう頭はごちゃごちゃになるようだ。
私達はみんな同じだ。