2024.11.16
執念深い私で申し訳ない。
寝ても覚めても「生きる方法」ばかり考えて、
笑うことを知らないと言われた私だ。
現生人類である「ホモ・サピエンス」であるが、
その名は「頭が良い」ということでの名づけと聞いた。
本当に私達は他の生物よりも頭が良いのか?
動物との違いは何だろうと考えていた。
動物は消極的に周りに適応するように進化している。
人類は二足歩行で手が使えるようになったので、
その手を使って周りを積極的に変化させ、
自分達の都合の良いように手を加えるようになった。
自然発火した火は動物だって人類だって同じ経験をしていたが、
人類はその内それを自由にコントロールし、
ずっと後になって自分で発火させる方法を工夫して実行した。
おかげで動物達の生命は人類に支配されるように
なったのは誰もが知っている。
しかも人類は道具を作ることを覚え、
手を使うことでますます大脳が発達してゆく。
狩りや農作業用具、それよりお互い人類内で
戦争する時の道具として武器を作り始めた。
「人類の不幸は肉体を離れての武器を作ることが出来たことだ」
と誰かが書いていたのを読んだことがある。
動物達の武器といえば確かにその体にくっついている。
自然界の生存競争で、動物達だって命がけで生きているのだ。
歯、キバ、鋭い爪なども大きな武器だし、
カニなどのハサミも大切な武器だ。
中にはスカンクなどは毒ガスを発する。
毒蛇などは将に毒を武器としている。
動物達は体の一部を変化させ戦うための道具に作り変えて行った。
でも人間はどうだろう? どう見たって身体に
武器らしいのはついていない。
だのに地球を壊してしまうくらいの武器を作るのだ。
動物達は自分達の「種の保存」を考えているのだろうか?
動物達がその子孫に教えているのは住む場所と住み分け、
食べるべきもの、天敵から逃げる方法、
後は自然に合わせてその子孫がどうするかだけで
その寿命は終わってしまっている。
植物にいたってはもっとシンプルで
無機質から有機物質を作り自分を成長させ
後は種という子孫作りで終わる。
その内ちゃっかり他の生命を食べて自分の栄養にする
食虫植物やヤドリギの様に他の植物の樹液を吸って
いざとなったら自分でも生きていける植物もある。
あたかも智慧があるような植物だってある。
今、動植物とも絶滅しつつあるというが
その原因が人類によるともいわれる。
人類が絶滅させた動植物の生命を復活させるのに
300万年はかかるという記事を読んだことがある。
あまりにも数字が大きくてさっぱり分からない。
ところで人類は子孫に「人類種」という種の保存のための
「生存教育」を公私ともにしてきたのだろうか?
私なりの教育史を学習する限り、
「人類は自分のことで精いっぱい」だった気がする。
はじめから共食いが手っ取り早いと考えたのだろうか、
それで始終戦争を仕掛けて敗けた人々を奴隷にして
家畜以下の扱いか殺してしまうかで、歴史を学習するほどに、
「人類はアホやなあ」と考えてしまう。
よくよく考えると同じ人類でも
「自分は他人より上質」と考える「選民意識」が
昔だけでなく今でもあるのだ。
ごく普通に身の回りでも見られる。
財産の多少、学歴職歴の高低、肉体的な見かけや
装飾品に始まり衣服でも他の持ち物でも、
それがあたかも人間その者の価値と錯覚されている。
人類は初めから力関係で、それが組織として大きくなって
民族や国家になるというのだ。その力関係での生存である。
ご先祖の数千年に及ぶ生存競争で地球の終末時計は
たったの100秒前という。
海の中のごみの量がそこにすむ生物の総量より
多くなるとも言われているし、私自身はもう50年以上前に
患者さんとしてきていた科学者から
「海のものは口にしてはいけません。
地上から流れこむ毒のひどさは凄いのですよ。
想像してみてもわかるでしょ?」
と教えられたが実行できなかった。
私は元々お魚大好き人間なのだ。
かといってベジタリアンにもなれない。
人類もいずれ餓死するのか? もし間に合うのなら
世界中の教育機関で「人類種の保存」のための
基本教育を考えて、まず大人が実行することを始めると、
なんとか人類は自滅しないかもしれないと考える。
K・ローレンツ博士は「意識して伝えようとしないかぎり
次の世代へは伝わらない」と言っている。
教育が正しくないと本当のことは分からない。
全ては見えにくい「法」という力がどうなっているのか、
そこから人類の一人一人が見直す気力が必要かも知れない。
専門家の諸先生方のご意見を拝聴したいと願ってしまう。
今はグローバル化で国境は無くなりつつあり、
国際的な階級間の生存競争の時代だと考えている。
私自身はもうすぐサヨナラするので、いつも
「赤ん坊や子ども達、若者達を優先して考えてほしい」と願う。
宝石の原石は磨き方ひとつ、教育次第であるが
まずその肉体を大切にしないと学習にも身が入らない。
それは大人達の「医心。母心。慈愛心。」である。