連載コラム

「-ある留学生を往診したのを思い出す。-」

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2024.11.01

 この経験を思い出す度に、私はなんとも言えない
哀しい思いで胸が痛くなる。
「貧しいのは本当につらい。それでも生きていたい!」
私の経験した思いである。

 ある日、某国立大学の先生から往診依頼の電話があった。
その大学では国際化に伴い、積極的に留学生を受け入れている。
先生はその担当の教官だという。

 話を聞くと、今一人の留学生が健康面で危険な状態にあるという。
その留学生はずーっとある公立病院に通院していたが「便秘だから
この薬を飲んどきなさい」と下剤を飲んでいたそうだ。

 ところが最近になって本人が動けなくなり、
また病院へ行ったところ「直腸癌の末期になっている。
治療法はないからホスピスへ行きなさい」と言われたのだ。
そしてホスピスへ行くにもお金がない。

 ただ癌の末期となると私のほうで出来ることも何もない。
「私に何が出来ると思っておられるのでしょうか?」
とはっきりお断りした。しかし「とにかく一度診てほしい。
結果はどうであれ一度じっくりお話を聞いてあげて欲しい」
と先生も引かない。仕方がなく私はその大学の
留学生達が住むという寄宿舎へ往診することになった。

 担当の先生は私を留学生の部屋へ
案内してくれた後、他に仕事があるとかで
そそくさとどこかへ行ってしまわれた。

 病人は畳の上の布団に横たわっていた。
小柄で身長は150センチ未満かも知れない。
皮膚の色は黒かった。インド洋のある小さな、
貧しい国の出身だという。自分の家も貧乏だけど
親戚皆が応援してくれ、彼は日本の進んだ学問を取り入れ
日本のように発展させたいと頑張っていたそうだ。

「日本へ来てからどんな食事をしていたのか?」と
私は質問をした。人の身体は食べ物で出来ている。
病気になるのも健康になるのも食べ物次第だ。
この若者はお金がないので、朝昼晩、カップ麺で済ませていた。
「安いしおいしいし簡単に食べられます。
勉強時間が足りないくらい忙しいですので、
とても助かるのです。頑張る以外ないです」という
言葉はいじらしい純な気持ちだ。

 飽きるほど貧乏に慣れている私だけに、
彼の言葉は切々と伝わる。
「お金がないというのは本当に哀しいよね。
でもきっと天は全部見ているので、
やれるだけやる以外道はないよね。」と
私は心の中で祈りながら1時間半ほど彼の傍に座っていた。

 この若者は「直腸癌の末期」なのだ。
公立病院はどうして初めから検査もしないで
「単なる便秘」として下剤を処方し続けていたのだろう?
今まで検査は受けておらず腹診だけだったという。
やはり私に出来ることは何もない。

 担当の先生が慌ただしく部屋へ戻ってきた。
私は先生に松寿仙を紹介して帰路に着いた。

 二日後、また担当の先生からの電話だ。
私が伝えたように留学生は松寿仙だけを
飲みたいと言っておいしそうに飲んでいたそうだ。
そして静かにこの世から去っていったという。

 先生はその留学生の国からお迎えの人が来るので
あれこれ忙しいという。それでもきちんと
私には死亡報告をしてくれた。

 それっきりもう数十年も経過した。
先生はもう退官、引退しておられるのでないか?
私は当時は自費診療医で請求先も分からないまま
ボランティアで終わったが、いい学習が出来たと考えている。

「貧しい」とは本当に哀しい。
どんなに志高くても、身体が維持できないと意味がない。
最近は金銭的に貧しくないけど「本当の生きる方法」への無知で
生命を失う人たちも増えている。

 今世界中でどれくらいの人々が、
「安くて身近で結果が良い医療」を受けているのだろうか?
どれくらいの人が「安心、安全、安定」の
三安の住を確保しているのだろうか?

 日本の素晴らしさは「志高く、生活は低く、上に立つ者は
最後に幸せを取るのが良い」という言葉があることだ。
私が好きな言葉の一つである。どれぐらい実現できるか
分からないが、少なくともこんな言葉を残す人がいたとは
素晴らしい社会だと私は考えている。