2025.10.15
「教育とは何だろう?」と考えさせられる時がある。
世間でエリートと言われる階級に属して、その受け取る時給も
一般の人に比べればうらやむぐらいに高給取りの人々がいる。
でも時々「可哀そうに!!」と内心考える時がある。
「負け犬の遠吠え」と言われるかもしれないが、
なぜ可哀そうなのか?
私の知る限りであるが、ピラミッドの上の位置にいる人ほど
本当の事を知らない。
人はいくら学習しても、人体についても
世間の事についても、理解するには余りにも分からないことが
多すぎてまさに「学成り難し」なのだ。
それなのに「自分は偉いし、何でも知っている!」と
錯覚してしまい、本当の事を知るチャンスを失うのだ。
もったいない限りであると私は思う。
約2年前、ある女性から相談を受けた。
代々医者の家系で、今は兄貴が後を継いでいる。
自分は嫁に出たほうであまり偉そうなことは言えないが、
身体の事では人一倍苦しんできた。
アレルギー体質で自分の子ども達もデリケートな身体である。
自分の高齢になった父が6回もワクチンを打ち、
このところ認知症がひどくなるばかりだ。
娘としては7回目のワクチンは打ってほしくない。
自分は自分の家族にも新コロナワクチンを打たせていない。
そのせいか皆元気で寝込むこともなく仕事も出来ている。
「お父さんにこれ以上ワクチンを打たせないで欲しい」と兄に頼んだ。
そうしたら兄が「素人に何が分かる!お上がきちんと対策を
立ててくれてるのだ。ワクチンを打つなというのはあれは
陰謀論の輩で、政府転覆をはかるやつらだ。
本当にワクチンが人に悪いならきちんとエビデンスを出せ!」と
妹をバカにして怒鳴る。
妹は答える方法が分からず、そして兄の家族は言われた通り
ワクチンを打ち続けているというのだ。
この医師だけでない。
多くの偉い立場で仕事をしている医師達が
結構ワクチン接種に賛成なのだ。
もっとも他人には打つが自分や身内には打たない人もいる。
臨床医にとって「予防注射は大きな収入源」なのだ。
臨床医のなかには時には変わり者がいて、
「自分の家族に打てないものは他人にも打てない」という医師もいる。
時には「新コロナワクチンについて海外の文献を読んでいたし、
初めから私は一族や職員、患者さん達には打たない理由を
公示しています。無論医師会から言われますが、
私は自分の学習を信じます!」という医師もいる。
ワクチン賛成、反対共に信じるようにする以外ないが、
どんなに社会的地位が高かろうが、
「自分は偉い!」と考えてしまったら、もうそれ以上
本当の事を学ぶチャンスは無くなる。
ある女医さんは、話していて「私は医者だから」と連発する。
聴いている私は内心「それがどうしたの?」と言いたくなるが、
聞き流すようにしている。他にも職種関係なく
「自分は偉い!」と思っている人がいるようだ。
「偉い」という言葉にも種類はあるが、私は人をランク付けるのは
好きでない。社会にはいろんな仕事があって、それぞれ
仕事を分担しているに過ぎない。
実際、学歴職歴一切関係なく人はみんな時期が来れば老いて
朽ちて自然に戻る。
「自分は自然の一部に過ぎない」そう考えて学び続ける人は、
本当の事を知りたく、いつも若々しいと感じる。
最近のお若い人々の中には逆に心が老いてしまい、
「これ以上何も知る必要は無い。インターネットに全てがある」と
いう若者もいるのだ。
100年後にはどうなっているのだろう?


