連載コラム

「-「本当の医療」の学習に高等数学は必要なのだろうか?-」

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2024.07.16

 昔の事だが、フイールズ賞を受賞された広中平祐先生が
言っていたことを思い出す。

「日本の学校教育で一律に高等数学を教えるが、それは
日常生活には何の関係もない。もっと生きる上で大切なことを
教える方が、子ども達の学習意欲を引き出すのでないか?」
それから私は先生の自伝のような本を読んだのを覚えている。

 これも昔の話、台湾が日本の植民地だった頃
(1895年~1945年)、台湾に沖縄出身の
数学の先生がおられた。生徒達からも
とても尊敬されていた「A.N先生」である。

「日本敗戦」と発表された時、私の連れ合いのお父さんは、
すぐさまA.N先生のご家族とお手伝いさんを自分の敷地内へ
迎え入れ、世が鎮まるまで時を待った。
そして無事日本へA.N先生ご家族は帰れたという。

人は皆「人間らしい付き合い方」をする人々がほとんどだが、
それは生活の上で余り格差がない間柄だ。「類は類を呼ぶ」
という言葉が有る通り、人は色々、同じ人はいない。
「君子の交わりは清き水の如し」と言われる。

A.N先生は日本へ戻られてから、東京のある私立男子高校の
校長先生になっておられた。その私立男子高校は、かつては
学業成績が芳しくなかったが、A.N先生が校長先生となられた後、
日本でも有数の大学受験校として高学力を誇った。

 私は連れ合いと結婚すると決心した時、初めてお会いしたのだが、
先生のご家族には大変お世話になって生きてきた。

 先生はある時教えてくれたのだ。
「僕は誰でも解けるような簡単な問題に高配点をする。
なかなか難しくて普通は簡単に解けない問題には低い点数をつけるよ。
教育は子ども達に自信を持たせることが基本だし、
生きていくのに実用的なことが大切なんです。」

「子どもはね。面白いと感じたら自分でどんどん学習しますよ。
小児科のお医者さんですので分かるでしょ!?」と言ってくださった。

 まさにそのとおりなのだ。人は楽しくない、面白くないと、
生きる力が削がれてしまう。

 私は自分がとても算数、数学に弱いと知っている。
それだけでなく「医学部受験する」と高校2年生の時、
大阪府立港高校で5~6月頃、「将来の希望」というのを
作文に書いたところ「キチガイが転校してきた!」と
学校中が大騒ぎだったそうだ。

 高校2年4月に転入したのだが、そこですぐに
「実力テスト」があって学年ビリから4番目だった。
皆が騒ぐのは無理もない。

 有難いことに担任が数学の吉村正太郎先生で、
私を呼んでアドバイスをくれた。
「高校一年生の数学の教科書毎日10頁を読んで、
10問解いてごらん」
そしてそれが幸運にも、今の私に繋がった。

 実をいうと一年半は必要に迫られ数学と物理だけに明け暮れたが、
大学入学以後、今に至るまで全く数学は使っていない。
「少しは医療統計学も勉強したら?」「最低英語位は何とかしたら?」
と言われても出来なかった私だ。

 今、自分の終活に向かって必死に総括に力を入れてはいるが、
相変わらずの「相談事」の返信に追われ、自己学習も
中々進んでいないのだ。

 医療に係わり学習始めて実に80年近くなる。きっかけは
4歳10か月で経験した「1945年3月17日の神戸大空襲」である。
人が生きたまま焼かれて殺される時、人体はどのようになるか?
私は時々来られる皆さんに「想像してみてください」と伝えてきた。

 医療者の仕事は「人々に生きて、生まれてきてよかったと
思ってもらえることだ」と信じている私である。

 数学は全く必要ないとは言わないけど、日常使わないレベルまで
すべて学習する必要があるのだろうか?

 日本だけでないかも知れないが、その社会の医師免許を
取るのは簡単でない。若者達に使いもしない知識を詰め込ませ、
もしそれが出来ない子どもでも親に経済力があれば代わりに
お金が入学の可否を決める。

 本当に「人が好きで人々が生きるのを手伝いたい!」と思っても、
中世期のギルド制度のようで、簡単に入り込めない世界である。

 医療が難しいのでないと分かった。人が作る社会構造が
まともでないと知ったのだ。

 人は社会の流れには逆らえない。
「どうしたら自分や家族を守れるか?」と私なりに研究し続けてきた。
そして今は自信を持って言える。

 幼い内から出来る限り「本当の生命がある場面」との接触である。
散歩をしていて、子どもは何でも興味を示す。
大人が一緒になって道端の野草や昆虫に注目する。
「出来る限り本物を観察する」という習慣が大切なのだ。

 学歴は意味ないとは言わないが、あると便利である。
人それぞれ同じ人がいないので、今ある時点から出発する以外ない。

 大切なのは、将来何の職業に就こうとも、全ての人は、
自分の健康、生命を守る知識はそれぞれ身に付ける必要がある。

 最低、食べて良いもの、口にしてはいけない物、
皮膚に付けてはいけないもの(経皮毒)など、この地球上は
既に生きるのに厳しい環境汚染の星であるが、
出来ることはそれに適応する力を身に付けることである。

 つまり「解毒能力」である。人は一人ずつ同じ身体はないので、
自分の身体を自分で研究するしかない。

 医療関係者はあくまでサポーターに過ぎないと知ることだ。
自分で学習、実行する以外ない。人は生活習慣があり、
「分かっていてもやめられない」。

 医科大学に通って医師国家試験パスして、医師免許を
持たなくっても、人は自分で学修できる。そのためには
きちんと母語として日本語(漢文、古文、現代文)を
学習しておけばよいのだ。

 そして全ては独学でもよい、少し余裕があるなら何か
ライセンスを取っておけば十分。いくつになっても
学習する面白さを知るほうが生きる力となる。

 今日もずーっと悩める16歳の女の子の事で、
どういう風に返事をしようか、私自分が考えてしまうのだ。
年とることを忘れそうだ。