連載コラム

「-「国が乗っ取られる!」という心配。-」

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2024.03.01

 何処の社会でも人は流動的である。
住み続けている人々もいるけど、
「地球を彷徨う人類」の部分もある。
そのおかげで世界中に現生人類は広がった。

 ご先祖がどの場所を選んで根を張ってくれたか?
それがいろいろ問題になるようである。

 社会はそこに住む人々で見える部分も
見えない部分も影響を受ける。
文明文化はそうして蓄積されて変化を続ける。

 世界のそれぞれの社会文化史を覗いても、
日本のを見てみても、本当にどこも個性的な歴史物語がある。
民族とは何か? 国家とは何か? そして、
国民とはどんな人の事をいうのか?
見える見えないヘイトで生活してきた私の人生なので、
考えることは明るくないかも知れない。

 でもこの年齢で日本の皆様からお話を聞いたり、
送られてくるお便りや書籍を読んでいると、
本当に今、日本は岐路に立っている。

 その中で一部の人々が言う言葉が「日本は乗っ取られる!」
というマイナスイメージを持つ言葉である。

「何故不安を感じるのだろう?」と考えていたら、
私なりに少し理由が分かる気がする。

①日本の人々は、歴史的に素直さを要求されて生きてきた。
良い悪いを別にして英語でいう「クリティカル・シンキング」の
普段からの習慣がない。または少ない。

②物事を考えるのにまず森を見て、その後に一本ずつの
樹木を見ると言う習慣がない。
井戸の中の蛙と言われる理由だ。
経済的に「ゆでガエル」とまで言われても、
まだ気が付かない人々がいるのだ。

③「炭坑内のカナリヤ」だと言われる多くの人々がいる。
年齢的に働き盛りでもいろいろな障碍者としての
病名を持ち、社会の第一線で働けない。

④社会というのはいくらAIが活躍してきたとはいえ、
人手が足りない時はどうするか?
当然『人手不足』として、外国の人に頼る以外ないのだ。

⑤日本で半世紀以上の「何でも相談屋」として仕事をしてきて、
今も「相談」を受ける身として体感することは、
日本の皆さんは恵まれて育っておられる。
それを感じたのはもう40年近く前だ。
私は「日本の子ども達は精密機械の様だ」とある雑誌に
書いたことを覚えている。頭は良いし恵まれているが
成長するほどに引きこもる傾向があった。

⑥現場で働く人がいなくなったら、その機能を維持するためには
海外の人に頼る以外ない。これは世界中どこでも同じだ。
顔形、言葉になじめず、生活習慣の違う人々が増えてくると
古くから似た者同士が集まって生活してきた者にとって、
違和感がありストレスになるほどの不安感が出てくる。
それが「国が乗っ取られる!」という言葉になるのでないか?

 これらで問題なのはその原因を作っているのは、
自分達だと言う感覚がないことだ。

 つまり「嫌なことの原因は外にある」と考えるのだ。
それは医療界で「細菌学」や「ウイルス学」などの微生物が
目の敵にされる思考パターンと同じである。

 本当の原因は自分の内面に有る。
その社会が100年の計をもって人口動態を観察し、
早めに手を打ててきたかがどうかが問題なのだ。

「移民が増えて日本文化が消える」と心配するなら、
自分達の健康管理を考え実行し、まともな食料を
確保することが基本になる。自分達が
子孫をたくさん作ればよいのだ。

 それ以上に一番の基本は実行部隊である行政の人々を
選出するのに間違えない事だ。
選挙権のない私に言えることは、その程度である。

 母語教育をきちんとすること。
「生まれ来る赤ん坊たちは皆、天からの授かりもの」として、
きちんとその生命の存在することに感謝して、大人たちが
責任をもって全ての生命を育てられるかが問われているのだ。

 地球人として生きているつもりの私にとって、
日本が富士山のように末広がりになると、
世界は静かに穏やかに生き返ってゆく気がするのだ。

 祈る以外に私には能がない。