連載コラム

「-「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」は、今に合わない。-」

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2025.06.01

「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」
古代ローマの詩人が言ったというこの言葉について
私はずっと考えていた。

 物心つく頃より病気と付き合い続けて生きている私だ。
「私の精神は本当に病んでいるのか?」と考え込むことがある。

 若くして知人の精神科医(大病院の
精神科部長もしていて有名な医学博士)に病名をもらい、
それっきりお付き合いは切れている。

 連れ合いは私の「人体へのこだわり」に対して、
「まるで(精神的)奇形児だよ。そこまで考えなくても」と言っていた。

 でも私はとことん自分の肉体はいつまで
耐えられるか実験してみたい。
知らないことも多くて今でも大学受験生並みに努力する。

 そしてこの古代ローマの詩人の言葉は
「今の時代に合わないなあ」と考えているのだ。

 考えてみて欲しいが「健康、または健全な人」とかは、
何で決めるのだろうか?

 私が知る限りであるが月日が経つほどに生まれ来る赤ちゃんは
昔と違って少しずつ身体が違っていると産婦人科の人達は
考えているそうだし、小児科の人達はもう
はっきり口には出さなくても感じている。

 生まれた時からあまりにも問題を
抱えている子どもが増えたことだ。

 私が日本で小児科の臨床医を約60年していた中でも、
肉体も精神も気になることは多かった。

 障碍者グループの人達とのかかわりの中で、
いつも思うのは「子どもには罪はない!」ということである。

「産んでくれと頼まれもしなかったのに、
私は出産して子ども達に苦労させた。
心の中で謝り続けているよ」と
母は90歳の頃、私に心の内を話してくれた。

 今の世界中の様子を考えてほしい。
健全な精神とはどんな精神だろう?
肉体的に外見上立派に見える人々の実際にしていることは、
精神面で全て健全だろうか?

 私の知る限り現実はもっと哀しい状態と思える。