連載コラム

「空想の平和主義を論破する」を繰り返し読んで。-」

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2025.02.15

 日本政策研究センターという研究機関がある。
そこに「一緒に行かないか?」と誘われたのは、
もう20数年前の事だ。

 もちろん私は日本の国籍も持てなかった継母っ子だから
遠慮したのだが、今、終活断捨離中で何冊かの本が出てきた。

 この「空想的平和主義者」という言葉は、私が若い時に
精神科の専門医から頂いた病名の中に入っていた言葉だ。

 私の病名はもっと重傷で「誇大妄想型」というらしかった。

 確かに。。。私の頭では12歳から地球が左手のひらに乗っている。
でもこれは中学2年の頃の京都平安女学院での理科の授業のせいだ。

 4~5歳で本物の「生きた人が焼き殺される」現場を見てきた私で、
昭和20年の8月15日だって忘れられない。

 その後も自分の生命健康の維持にこだわって、
「生きること」について考え、研究を続けてきたのだ。

 5歳から人体について学習始めた私は、世界一バカかもしれない。

 判ったことは『考える』人は、人の数ほどいるが、
同じ人はいないのでその内容はそれこそ同じでないという事だ。

 だからこの、本だって当然存在してよいし
学習するのに良いと私は考える。

 ただ私は経験上「見える力(武力や権力など)や
見えにくい力(法律で人々を縛ってゆく)等を使っては、
物事は片付かないだろうなあ」と考えているだけである。

 強いものが勝つのは自然現象で、
「力ない弱虫はどう生きるか?」それが私の研究テーマでもある。

「判った!」と自己満足している老女医である。
各自が信じるように生き、人生の最後で「面白い人生だった!」と
思えればそれで良いのでないか?
価値観だって人それぞれだと思う。